【愛知県・名鉄三河線-“山線”廃線-5】枝下駅〜鉄橋
愛知県の真ん中を南北に横断している名鉄三河線。 豊田市の西中金駅から、吉良町の吉良吉田駅までを結んでいました。 この三河線は、途中の知立駅を境に、北を「山線」南を「海線」と言う事があります。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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郊外を走る鉄道なんだから、 田園風景の中を 楽〜に歩いて行けると思ったけど、 線路の跡は酷い薮になってました。 いやまあ、その方が 廃線探索らしくてイイのですが… 次の目的地は、もうひとつの鉄橋です。 |
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山菜がいっぱい生える薮を過ぎると 踏切り跡が現れました。 どういうわけかA型バリケードが 線路上にどけてある。 それにあれは、土が盛ってあって 道が造ってある。 何だろう? 近付いてみたら警備員の人が! しかもロープが行く手を塞いでますよ! ああ。道路工事なんだ。 どうやらこの先で工事をやってるみたいです。 ・・・でも、ちょっと通りづらい雰囲気が… |
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とかなんとか言いつつ ひょいひょいっと通過。 まあ、横切るだけだからね。 線路沿いには何かの工場や、住宅地があります。 森の中のような感じの景色ですが、 民家の裏庭の前を通ったりします。 ここもそのうち再開発されて、 市街地に変わってしまうのでしょうか? |
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「A」 | |
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しばらく歩くと広い場所に出ました。 ここもレールが3本ですね。 薮は無くなったけど、 かわりに松の木が生えてる。 それとも植えられてる? 遠からずここも森になることでしょう。 ( ̄△ ̄)ノシ 〜・ |
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鉄橋(ガーダー橋)
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トラ柵出現。 |
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鉄橋なんだけど、 周りに木がいっぱい生えてますねぇ。 川はどこにあるんだろう? ちなみに前に見える高架は、 東海環状自動車道の物です。 これは猿投駅の方を撮ってます。 ( ̄△ ̄)ノシ 〜・ |
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上の写真を撮った所から振り返って |
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さて、反対側に行きましょう。 と言っても鉄橋なんか渡りませんけど。 危ないし・・・ なのでぐる〜〜りと大回りします。 下から接近できないかと思って こんな所に来てみました。 しかし残念! これより先に進めません(´ω`) 柵があります。 立入禁止です。 しかたがないので、もう少し先まで行きます。 |
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住宅地の中で廃線跡を探してみました。 廃線跡はすぐ見付かるのですが、 鉄橋の近くから行こうといろいろ探していたら、 ちょっと怪しい場所が… 農道のどんづまりの所に、 何か遊歩道らしきものがありました。 方向といい、森の中に入って行く感じといい、 とってもアヤシイです。 「お船石」なるものがあるそうです。 森の中を少し歩いて来たら、ありました。 これが「お船石」です。 しかもその後ろの斜面には、 小さな坂道が・・・ |
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あまりもアヤシすぎです。 これはもう決まりでしょう。 その坂道を上がって行くと… 目の前には線路が。 発見しました。 ではさっそく鉄橋に向ってみましょう。 |
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向う側の比べて そんなに薮は酷くないけど、 こんなツタが線路を覆ってる所があります。 一見なんでもないように見えますが、 足がひっかかって 大変やっかいなシロモノです。 今は枯れてるけど、 夏になったら・・・ もっと大変になりそうだ。 |
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薮は少なくて、歩きやすいなんて思ったけど、 トゲのある植物があって 線路の外に避けて歩かなければならなかった。 その時偶然見付けたのがこれ。 築堤の斜面に、古レールで作った、 これは土止め? なのかな? こんなのがずらりと並んでた。 しかもこの斜面、結構高さがあります。 木が沢山生えてるのでわからないけど、 10m以上の高さがあります。 先に見た鉄橋の高さを考えれば 今居る場所の高さがわかるよね? |
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ここらは右側に住宅地があります。 でもこの廃線跡からは 直接行く事は出来ません。 真ん中に畑と薮地帯が横たわってますので。 なんか前の方に、穴の開いた小さな山がある。 こういうのって見た事があります。 古墳ですね。 調べてみたら「滝1号墳」だそうです。 17mの円墳で、東海環状自動車道建設のために、 ここに移築されたそうです。 |
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さあ、再びやって来ました。 勾配標もしっかり立ってます。 これは“下り20‰”ですね。 「‰」は「パーミル」と読みます。 1000分の1という意味です。 つまり1000m進むと20m分下るという事です。 今調べました。 ケーブルカーなんかだと、 500‰なんてのもあるそうな。 |
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こちらでは東海環状自動車道の高架が のしかかるように頭上にあります。 なぜだかここにはトラ柵の他に、 金属製のネットで封鎖されていた。 |
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上の写真を撮った場所から カメラのズームで拡大してみました。 橋の先には、さっきまで居たトラ柵が見えます。 もうちょっと先まで行ってみる? |
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外側の柵を廻り込んで トラ柵の横まで来ました。 でもそこから先は無理。 落ちそうです。 柵の外側はストーンと崖になってます。 うわっ(〃Д〃)思ったよりコワイよ。 足を滑らせないように、そ〜っと向きを変えて… 戻る前にここから見える景色を1枚。 ここは高さ10mぐらい? さっき写真を撮ってた所が遠くに見えます。 ・・・そんな事より早く戻らなきゃ・・・ |
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再び「お船石」の所まで戻って来ました。
この先を行くと次の駅「三河御船駅」です。 そこから「猿投駅」までは 線路が住宅地の中を通ってました。 さて、今回の三河線・山線の廃線部分の探索は これでひとまず終了。 この先はまたの機会にしましょう。 [2007年5月現在] |
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「お船石」というのは、4m×2mぐらいの平らな石で、明治初年頃までは猿投神社の宮司によって 毎年9月にしめ縄を張り替えられ、お祀りをされていたそうです。 猿投町史によれば「大昔、猿投山の頂上近くまで神様が乗ってこられた船石が三体あり、 その内の一体が洪水によってこの地に流れ着き、残りの二体は山頂にとどまった。」とあります。 三河線開通の時に、この石が法面に埋まってしまったといいますが、 その後、何故か事故が重なるので、築堤の一部に石垣を築いて石を守ったそうです。 レポートの写真にもその石垣が写っています。 この石はいったい何なのか?石自体は近くの滝古墳群の古墳の石室の石材かもしれませんが、 何かの信仰対象でしょうか?事故の原因と考えられているあたりは、祟り神的な性格もあるようです。 しかし、洪水で流失したと云われる三体の石のうち、猿投山の頂上にある御船石は、 その昔、景行天皇が海を渡ってきて、上陸した時に留められた船が石になった物だといいます。 御神体というよりは、神の宿る“よりしろ”だったのかもしれません。 ちなみに、ここの地名の「御船(みふね)町」の元になったともいわれています。 ■ |
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