愛知県・田口線跡-町道143号線】廃虚の終着駅
愛知県鳳来町から設楽町田口まで繋いだ、豊橋鉄道田口線。
1968年(昭和43年)に廃線となり、今ではその一部が、県道や町道として利用されています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 終着駅の廃虚です。
 「道」ネタとはちょっと違うけど、
 廃線跡の遺構という事で、
 ここで取り上げてみたいと思います。
 完全廃虚の凄い状態になってます。
 ちなみに完全廃虚とは、二度と使えないぐらい
 ぼろぼろの状態の廃虚の事です。
 え?そんな言葉聞いた事ないって?
 たった今、私が考えました。

 豊橋鉄道田口線は、
 1927年(昭和2年)に田口鉄道株式会社として
 設立されました。
 段戸山から木材を運び出すために、
 そして、地域住民の足として、
 昭和4年5月22日に開通しました。
 しかし輸送の仕事をトラックに奪われ
 経営は厳しい状況に追い込まれ、
 昭和40年の台風24号のため、
 路線の途中が被害により休止。
 その後再開の目処が立たないまま、
 昭和43年8月に廃線となりました。
 …今では夏草に埋もれてます。
 
 昔の写真を見ると、東側を通ってる町道は、
 今より低い位置にありました。
 あ。その頃は町道じゃないか。
 駅構内の通路の様なものでしょうか?
 昔の話はこれぐらいにして、
 今現在の田口駅を見てみましょう。
 外から見ても、建物が変型してるのが
 よくわかります。
 このレポートは2005年7月のものですが、
 9月に写した駅の写真を見ると
 この部分が潰れて無くなっていました。
 

 寒狭川上流漁協看板がここにもあります。
 「駅裏」だって。
 まあ、確かにこの場所は駅の裏側だろうけど、
 せめて「田口駅」とかにすればいいのに。
 それとも、「駅裏」と言うのが
 地元の通称なんですか?
 そんな事より駅舎の方を見て下さいな。
 ゆがんでます。
 波打ってます。
 

 
 場所を変えてみましょう。
 上下方向だけじゃなく、
 左右にも傾いてます。
 これって基礎自体にもダメージがあるって事?
 建物がランダムに沈み込んでるのね。
 
 これは南側の様子です。
 なんか、青いトタンが貼られてるけど、
 鉄道廃止後に他の用途で利用されていた為に
 こんな無神経な修理をされたのかしら?
 木の板が壊れたぞ、トタンでも貼っとけって。
 せめて黒いトタンにしてよ。
 今さら遅いけど…
 よく見ると、建物が右に傾いてる。
 倒壊する時は、右の町道に向って倒れますね。
 それってやばくない?
 
 さて、むろん内部も見て来ました。
 中を見るとさらに危機感が増します。
 この写真は何かの間違いじゃありません。
 天井が右にさがってます。
 そのおかげで、垂直のはずの柱が傾いてます。
 ここは当時、待ち合い室だったみたいです。
 しかし、今は植物達がお客様。
 緑色と外からの光が、落ち着いたイメージで、
 まさに、これぞ「廃虚美」ですね。

 上の写真の右側は、
 とんでもない事になってます。
 屋根を支える柱がありません。
 屋根は宙に浮いてます。
 この部分の屋根は、
 今や他の柱や壁で支えてもらってる訳です。
 しかし、その柱や壁は限界ぎりぎりな状態です。
 もはやいつ崩れてもおかしくないです。
 やはりと言うか、ここが最初に崩れました。
 その前に撮影できてよかった〜
 でも、撮影してる最中に崩れて来たらって
 考えると・・・こわ〜〜〜。
 
 ちょっと南側の所も…
 青いトタンが貼られてる内側です。
 これは何?
 ・・・いろり、ですか?
 掘りごたつ、かもしれないですね。
 ここは畳の部屋だったのでしょう。
 床がごそっと抜けてます。
 向こうには押し入れらしき扉が…。
 駅員の休憩室なのかも?
 
 そこから見えるこの小さな部屋は
 おトイレなんでしょうか。
 昔の建物は、こんな風にトイレが
 外に飛び出していました。
 トイレと言うより便所の方がぴったりかも。

 ここも天井が抜けてる。
 
 この廃虚には、思いのほかガラスが残ってる。
 たいてい良からぬ連中に
 割られてるものだけど、
 こんなローカルな山の中までは来ないのか、
 素晴らしい保存状態です。
 でもこれは、当時のガラスではありませんね?
 昔のガラスは今と違い、真っ平らではなく、
 歪んで波打ってました。
 このガラスは新しい時代の物みたい。

 ガラスは残っていても、
 案外モノが残ってないです。
 トラックのタイヤとか、
 リヤカーらしき物の残骸とか、
 鉄道時代の物は見付けられませんでした。
 
 良からぬ連中は来ないって思ったけど、
 ガラスに「バカ」と書くバカは
 いるみたいです。
 ここは町道のすぐ横にある出入り口の所です。
 
 待ち合い室と、駅員の居る部屋を仕切る
 壁でしょうか?
 屋内なのに窓ガラスがあるので
 多分そうなんでしょう。
 あ。今までのは私の思い付きなので、
 違う可能性、大です。
 それにしても、この所々抜けた
 ガラスがいい雰囲気ですね♪
 まるで計算された演出のようです。
 
 でも、駅であった証がこんな所に…
 柱に貼られた札に「貨物用」の文字があります。
 上には
 「許可ナク持出シヲ禁ズ」
 「貨物用 封印切断用鋏」と書いてあります。
 よく見ると「出」の文字が、
 「山」に「々」ってなってる。
 「出」って山が上下に2つ重なってるから?
 これって「出」の省略文字なの?異字体?
 上の方に打ち込んである釘に
 はさみをぶら下げていたんでしょう。
 何か当時の情景が目に浮かぶようです。
 
 鉄道時代の遺物といえば、こんな物もあった。
 これは電源の切り替えスイッチですか?
 何度か付け替えられた跡があります。
 今付いてる物は、田口線現役最後の物でしょう。
 痕跡だけになった物は、
 開業当初からのオリジナルの部分かも。
 それと最後に一言。
 以前に増して倒壊の危険があります。
 中には入らず、外から静かに
 見守ってあげましょう。
[2005年7月現在]
2006年3月
 また行って来ました廃墟の駅。
 例のやばい所が崩れたと言うのを
 実際に見てみたくて
 近くを通った時についでに寄ってみました。
 ・・・これは
 想像以上の酷い状態だ。
 半分近くつぶれてます。
 さいわい道路と反対側に倒れてますね。
 
 横からも見てみましょう。
 あの廃墟美の空間は、
 すっかり瓦礫に埋まってしまいました。
 しかもこれは雪の重さとかで潰れた訳じゃ無く
 自然に潰れた訳ですよね?
 やっぱり、
 いつ崩れてもおかしくない状態だったんだ。
 設楽ダム完成は2020年だそうですが、
 その前に確実に全壊しますね、これは。

[2006年3月現在]
2011年8月
 現在、設楽ダム建設は進んでないようで、
 どこも工事をしてる様子はありません。
 全国的にダム建設が見直されてるので、
 ここもダム建設が
 中止になるかもしれません。
 しかし、駅舎跡は水没を待たずして
 バッタリ倒壊してしまいました。
 屋根だけが横たわってます。
 道路にはみ出した所に車がぶつからないよう
 A型バリケードでガードされてます。
 
 今までは近くで見れなかった煙突が
 こんなに身近に・・・
 それに屋根から木が生えてます。
 どうやら3年ぐらい前から
 延び始めたみたいで、
 いつの間にかこんなに大きくなってた。
 まさかこれのおかげで潰れた!?
 って、そんな訳ないですね。
 
 いつかは無くなる運命でも
 これではあまりに哀れです。
 横を流れる豊川には釣り人が訪れるので
 その人達のための休息所とかで
 再利用出来なかったのだろうか?
 なんとも勿体ないことです。

[2011年8月現在]
2012年3月

 その後の様子が気になったので
 再び見に来ました。
 ああ… やっぱり片付けられてる…
 この道って、けっこう車が通るので、
 撤去されたみたいです。
 こうなりゃただのガレキだよ。
 結局最後まで残ったのは
 あの“青いトタン”でしたね。

[2012年3月現在]


最初は駅の廃虚までは、探索の予定にはありませんでした。
見れば見る程、田口線の歴史の重みが実感出来る場所であります。
しかし、その駅舎も重みに耐えかねて、崩れようとしています。
設楽ダム完成と共に湖底に消えるまで、あと幾年あるのでしょう?

この廃駅跡に関して面白い事がわかりました。
この三河田口駅は廃線後、30年ぐらい前まで、鉄道の職員の方が住まれていたそうです。
鉄道時代の物が残ってないのは、こんな理由だった訳ですね。
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