【名鉄三河線-三河知立・廃連絡線】
愛知県の知立市にある廃線跡。市街地の真只中にある廃線とは、一体どんな姿なのでしょう。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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知立市に廃線跡がある。 と言うので行って来ました。 なかなかに物が残ってるそうなので、 期待できます。 廃線跡の場所はこちら→■周辺図■ |
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現地に到着しました。 ここは国道1号線が東側を通る場所にあります。 写真は三河知立駅近くから東を向いて 撮ったものです。 線路が2本並んでますが、 左端が名鉄三河線で、 手前の線路が今回の目的の廃線です。 この辺りは廃な雰囲気は いまいちありませんね。 では、廃線を辿って行きましょう。 |
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駅構内の待避線みたいな雰囲気です。 一見、現役の線路に見えますが、 すでに架線はありません。 手前に積んである木製の物は トロッコの車体です。 ちょっと向こうには車輪が並んでます。 奥にある黄色い車体は ディーゼルの機関車でしょうか? |
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少し行くとブルーのフェンスでシャットアウト。 まごう事無き廃線の姿です。 つやの無くなった錆たレールと、 路盤を覆う雑草。 いいわね〜これ。 廃線のこのスペースだけフェンスで囲われて 資材置き場みたいになってました。 ここは隣の道路で迂回して行きます。 |
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もちろん踏切り跡もばっちり残ってます。 電車が走らなくても、 道を走る車のおかげで、線路はピカピカ。 電車の車輪が通る隙間には土が詰まってます。 さて、左右の安全確認をして道路を渡ります。 廃線を横切るのは県道285号線ですが、 けっこう車が通るので注意して下さい。 |
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県道を渡った先には、 |
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こんなトコロにトロッコの車輪が! さっきも同じような物があったけど、 これは打ち捨てられてます。 なんて勿体無い。 再利用は出来なかったのだろうか? でも、これはこれで廃線の雰囲気を 盛り上げてくれます。 このままでいいかな? いいよね? |
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これは何? |
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これはポイントのクロッシング部と 言われる所です。 少し先にはポイントの切り替えがあります。 なかなかよく保存されてて 来た甲斐があるってもんです。 |
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ポイント部の横にあるこれは 手動のポイント切り替え装置です。 ポイントを変えると、 上の円い羽根みたいのが “くるっと”回るそうです。 それに所々に歩行者用の踏切りがあった。 住宅地の中を通ってるのが実感できます。 |
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廃線跡を歩いていると、 目の前を電車が通過して行きます。 さすがに名鉄名古屋“本線”だけあって、 数分おきに電車が通ります。 今は特急電車が通過中。 パノラマDX、だったかな? |
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廃線は本線に寄り添う様に続いて行きます。 ここからは、廃線跡の架線は無くなってる。 それに枯れ草が線路を覆ってるので、 現役の軌道だと勘違いする事はないでしょう。 でもここ、名古屋本線に近いです。 廃線上を歩いていても問題は無いでしょうが、 何となく左側を歩きます。 ・・・いや問題はあるかも? ここって名古屋本線の敷地内ですよね。 堂々と歩くのは遠慮した方がよさそうです。 左の斜面をこそーりと行きます。 |
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今度は各駅停車の列車だろうか? すぐ横を勢い良く通過して行きます。 ここは緩やかなカーブになってるので、 例の福知山線の脱線事故を思い出します。 ちょっと恐いです。 さて、廃線跡はここでお終い。 左下に見える白い杭が終点です。 ちなみにこの写真は 今来た方を振り返ってます。 |
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進行方向を見るとこんな感じ。 廃線は途中でぷっつり、途切れてます。 それにすぐ手前には本線に向う ポイントが残ってます。 コンクリの架線柱が レールのすぐ隣に立ってるけど、 もう二度と使われる事が無いって訳ですね。 その架線柱を境にして、 廃と現役がくっきり分かれてる。 |
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これは車止めの土盛りみたいです。 駅の構内にある四角い箱がのっかった 車止めとは違うようです。 何でこんな、飛び出したみたいな格好の 線路があるんだろう? 何かアクシデントがあった時に 電車がここに突っ込んで止まるため? それって映画の1シーンみたい。 |
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これにて廃線跡探索は無事終了。 帰りは廃線の外から見てみた。 架線が残ってる所がありました。 ここは連絡線だったそうで、 名鉄三河線と名古屋本線を繋いでました。 廃線になっても三河線と名古屋本線は ちゃんと営業中なので、 寂れたような雰囲気はありません。 それにしてもいい天気だ♪ [2006年1月現在] |
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名鉄三河線のルーツは、大正3年に開通した「三河鉄道」です。 さらに大正12年には、愛知電鉄が知立まで乗り入れ、現在の路線の形が出来ました。 その愛知電鉄も名岐鉄道と合併し名古屋鉄道となり、さらに昭和16年には三河鉄道も合併されました。 三河鉄道の路線が三河線になり、愛知電鉄の路線が名古屋本線となりました。 今回の廃線は、その三河線と名古屋本線の直通運転のために造られた連絡線です。 その後、駅の統廃合などがあり、三河線から名古屋本線への直通が容易になったので、 連絡線は廃止されました。 現在は連絡線の三河知立駅寄りの一部分が、工事車輌などを置いておくためのスペースになってます。 ■ |
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