【長野県上松町・木曽森林鉄道-鬼渕橋】
長野県の木曽地方に張り巡らされていた森林鉄道網。 現在その全ては廃線になり、一部保存されている場所を除いて、遺構が残るのみとなっています。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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この鉄橋は結構有名な所です。 木曽森林鉄道を紹介してるサイトでは、 たいてい取り上げられてますしね。 でも、場所がイマイチわからなかったけど、 何とか探して来ました。 鉄橋の周辺図はこちら→■周辺図■ |
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探したと言うより、 偶然見付けたんだけどね…( ̄▽ ̄) バックには町並が見えてます。 こんなに市街地の近くにあるとは 予想外でした。 隣の赤い橋が、新しく架けられたローゼ橋です。 鬼渕橋は鉄道廃線後も しばらくは車道の橋として使われてました。 |
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木曽森林鉄道と言ってますが、 正式には「小川森林鉄道」だそうです。 上の写真を見ると右側に道が分かれてますが、 鬼渕橋を渡った鉄道はスイッチバックをして、 この道路の方向に線路が延びてました。 橋の正面に延びていくのは、 「王滝森林鉄道」だそうです。 マメ知識ですね。 それにしても、この錆びた姿がたまんないね♪ |
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さて、鬼渕橋の上に来ました。 まずは西側から。 森林鉄道の橋なのにガードレールがあるのは、 廃線後にしばらく車道だったからですね。 新しい橋の方が低く見えるけど、 同じくらいの高さですから。 それにしても、路面の苔がたまんないね♪ |
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「鬼渕橋」の銘板がこんな所に付いてます。 これは森林鉄道時代からあったのかな? ちょっと調べてみましょう・・・ なる程、森林鉄道時代は 「木曽川橋梁」と言ったそうです。 じゃあこれは車道化してから付けたのですね。 造られたのは大正2年で、 森林鉄道最初の国産トラス橋だそうです。 なんか思ってたよりすごい橋ですね。 |
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複雑な構造になってますねぇ。 “バッテン”がいくつも並んでいるので、 ダブルワーレントラスとかいう物かと思ったけど、 どうやら「パーカートラス」というタイプだって。 どこがどう違うのかよくわからない… まあ、ムツカシイ事はおいといて、 この詫びた姿を鑑賞しようではありませんか。 それにしても、この錆びた鉄が・・・ 萌え? |
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東側は下にトラス。 コンクリートの路面が重たそう。 昔は枕木が並んでたんでしょう。 |
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1枚目とは反対側から。 こちらにも「鬼渕橋」の飛び出す銘板があるね。 それに左側には何かのプレートが・・・ |
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あ。 これには製作会社の名前があります。 大正二年 横河橋梁製作所 製 作 だそうです。 「横河橋梁製作所」と言えば、 橋の建設で有名な会社です。 マメ知識ですね。 まあ… 使い所のない知識ですが… |
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と、いう訳で、最後は橋の外から撮影。 |
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隣に出来た新しい橋のおかげで、取り壊されようとされていた「鬼渕橋」。 現在は文化財として保存も決まり、解説の看板も立てられていました。 その看板には… 『大正時代になって、日本の鉄橋(トラス橋)は鋼材や製作が全て 日本の技術で作ることができるようになりました。木曽森林鉄道の鬼淵鉄橋は現存する 国産最古のトラス橋だといわれています。大正三年、宮内省土木技師三根奇能夫の設計で 大坂の横河橋梁製作が作った鬼淵鉄橋は、全長九十三・八メートル。 完成から昭和五十年まで森林鉄道の鉄橋として使われてきました。 各地で森林鉄道は相次いで廃止されましたが、木曽森林鉄道は日本で最後まで運行され、 この鬼淵鉄橋の上でフィナーレが行われました。』 …とあります。 「鬼渕橋」の“ぶち”が、「淵」になっていたり、完成年が違ってますが、そのままにしてあります。 「横河橋梁製作」は現在、「横河ブリッジホールディングス」となっています。 ■ |
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