【長野県-桃介橋】
長野県南木曽町を通る国道19号線を跨ぐように架かる吊り橋「桃介(ももすけ)橋」。 電力王と呼ばれた福沢桃介によって造られた、日本有数の木製吊り橋です。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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19号線を通るたびに見ていた吊り橋です。 なんか古そうだけど、これって何だろう?ってね。 以前はたいして気にしてなかったけど、 なんだかすごい橋だってわかって、 ちゃんと見て来ました。 これがなかなか味の有る橋でしたよ。 |
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国道19号線を走って来ると、 道路をまたぐように橋が架かってます。 何だか堤防道路みたいに 橋の下をくぐります。 現道をまたいでるって事は、 この橋の先に旧道があるって事ですか? それにしても凝ってるデザインです。 大正11年9月に出来たそうですが、 その当時の雰囲気がよくわかりますね。 |
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さあ、橋を渡ってみましょう。 橋桁は木造のトラス補剛です。 がっちりしてます。 え? 大正時代の橋にしてはきれいですって? それもそのはず。 この「桃介橋」は、 1993年9月に復元された物だからです。 だから安心して渡れます。 この橋って有名なんだろうか? 結構人がいますよ。 |
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主塔を真下から見上げています。 コンクリートでもって かなり複雑な形に造ってあります。 アーチの上にまたアーチを乗せるのって、 アメリカなんかのアーチ橋みたいです。 欧米か? Σ\( ̄ω ̄) っていうか、アメリカの影響がある? ■建設当時、この地に滞在していた アメリカ人技師が設計にかかわっていた、 なんて話もあるそうです。 |
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その主塔の下、 足元を見ると、なんとレールが! 埋まってるではありませんか。 実はこれ、トロッコのレールだったりします。 「桃介橋」が造られた理由が、 読書発電所建設のための資材運搬だからです。 ちなみに読書発電所を造ったのは大同電力で、 社長は福沢桃介です。 木造の橋桁にも黒っぽい所があるけど、 これはトロッコのレールをあらわしてます。 復元の際に当時の雰囲気を再現した訳ですね。 でも、鉄のレールの部分は、 当時の物なんだろうか? |
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足元にはこんなプレートもあった。 復元工事の時の物のようです。 桃介橋(桃之橋)ってあります。 桃之橋ってのは別名かしらね? 「桃介」を「桃」一文字に省略して、 “桃”の橋なんだろうか? そういうのって江戸時代の感性だね。 |
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この橋に主塔は3つあって、 真ん中の主塔の下からは河原に 下りる事が出来ます。 人一人分の幅しかない階段を下りて、 河原に出ました。 ここから見ると、 主塔から斜めに張られたケーブルが よく見えます。 これもアメリカの影響だろうか? |
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河原から国道側を見てみました。 大正時代の雰囲気が、少しは感じられるかな? ガードレールの存在が、 大正ロマンから現代に引き戻します。 あ。それと、ここから下の写真は、 クリックすると別窓で 大きなサイズの物が見られますよ。 |
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今度は反対側の天白公園の方を見てます。 河原には白い花崗岩が、 ゴロゴロ転がってます。 橋の向こうにある森が天白公園ですね。 この天白公園整備と一緒に 桃介橋も復元されたそうです。 昔から人々の役に立って来た橋ですが、 昭和の終わり頃には老巧化も進み、 廃橋寸前だったと言います。 でも今は見事に復活してます。 よかったですね(^▽^) |
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階段を登って再び橋に来ました。 そして対岸まで渡って、 アンカーの前から桃介橋を見てみた。 こっちの方が、国道が無いだけ 昔の雰囲気がありそう。 まあ、昔はトロッコの線路があったりして 雑然としてたかも? 右側の大きな岩に「桃介橋」と彫ってあります。 それに「国指定重要文化財」ってある! すごいですね。「国指定」ですよ。 [2006年4月現在] |
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大正11年9月完成の「桃介橋」は別名「桃の橋」とも呼ばれ、 読書(よみかき)発電所の建設のための、資材運搬路として木曽川に架けられました。 読書発電所を建設したのは、大井ダムを造った大同電力で、 「桃介橋」という名も、その社長の福沢桃介から名付けられた。 岩崎桃介、福沢諭吉の婿養子となってからは、福沢桃介と名のり、 アメリカに留学、帰国後は北海道炭礦鉄道に入社しました。 その後株で大儲けをしたりして、日本の電力王という地位まで登り詰めたのです。 桃介は北恵那鉄道の初代社長も務めていました。 ● 「桃介橋」は全長247.762m、幅2.728m、4径間の木製補剛桁を持った吊橋です。 橋桁は両側に張られたウインドステーによって、安定をはかられています。 橋を渡ったトロッコは、インクラインによって建設資材を運んでいました。 ■ |
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