【岐阜県-北恵那鉄道・思い出編】
北恵那鉄道には、1986年に一度訪れた事があります。 今から20年以上も前になりますが、その時はすでに今と変わらない廃線跡でした。 ここでは当時撮影した写真を展示していきます。 …たいした物はありませんが。 |
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これは中津川駅の北側にあった、 北恵那鉄道の車両と、 サイクリングロードになった線路跡です。 中津川駅の方を写したものです。 実際の写真には、 駅の跨線橋が小さく写っています。 遠くには恵那山も見えてます。 |
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上の写真とは反対側から撮った廃車体。 「ク551」と言うそうです。 表面に鉄板を貼っただけの、 木造列車です。 じっと見ていると、 モーターの音が聞こえてきそう? 1998年に火災で焼失したという事です。 勿体無いですね。 |
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ここは「苗木駅」跡です。 これはたぶん、 中津川方向を見ているものだと思います。 さすがに20年以上も前になると、 記憶も曖昧になっていますね。 |
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これは西側を見ているのだろうか? 石積みのプラットホームが よくわかります。 この駅は相対式のホームでした。 現在は宅地開発のために、 消滅したそうです。 地元では、開発か保存かで もめたりしなかったのでしょうか? |
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これは上の写真のホームの北側の |
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ここは「並松駅」跡。 築堤に並んではえているのは桜でしょうか? ホーム上の待ち合い室(小屋?)から、 たぶん北側を撮影したもの。 現役当時の雰囲気をちょっと味わえます。 |
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別の角度から見たホームの様子。 廃止後8年経ったとは思えない荒れよう。 ここも相対式のホームです。 |
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小屋の対面のホームの外から 写したものです。 何とも立派な階段が残ってます。 駅舎が無いけど、 ここは無人駅だったのでしょうか? 詳しい資料を持って無いので、 よくわかりません。 |
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さて、一気に終着駅「下付知駅」跡です。 訪問した当時は、 途中の遺構をすっとばして来たので、 1枚も写真はありません。 終着駅だけあって、さすがに立派な建物です。 北恵那鉄道廃止前から、 バスによる代行運転をされていたので、 ここがバスの停留所にもなっています。 バスのスタイルに時代を感じます。 |
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横から。 駅舎のすぐ横に立っている金属製の柱は 架線柱だそうです。 その横の張り出した駅舎の部分には、 「北恵那交通(株)下付知営業所」の看板が 掛かっています。 |
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これは線路があった場所から。 プラットホーム側になります。 路盤は埋め立てられてしまっていて、 ホームと線路の段差は無くなっています。 トラックとかが通りやすくするためでしょう。 |
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駅舎をぐるっと回ってみました。 向こう側にある建物は営林署の物でしょうか。 切り出された木材が積まれています。 ここから加子母村の渡合御料地に向けて、 森林鉄道が伸びていました。 「付知森林鉄道」と言います。 渡合温泉の近くに停車場があったため、 宿泊客や登山客が この森林鉄道を利用したそうです。 もうすでに木材運搬の主役が 鉄道からトラックに移行した時代なので、 森林鉄道は、影も形もありません。 |
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駅舎の中も見てみましょう。 広告がいくつか残っていました。 「東デパート」「スーパーヒガシ」です。 文具や衣料品を扱っています。 デパートと言うより、雑貨店なのでしょう。 3店鋪は別の場所にあるようですが、 社長は東さんなのでしょうか? 画像じゃ見えにくいのですが、 看板の右の壁には、 “あすかちゃん”という落書きが… |
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下付知駅跡の近くに放置されていた、 |
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北恵那鉄道の廃線跡を写した写真はこれでお終いです。 昔は現在のデジカメのように、気軽に100枚以上も撮影したり出来なかったので、 撮影した写真も少ししかありませんでした。 木曽川橋梁を写した物もありましたが、現在とたいして変化の無い景色しか写ってなかったので、 ここでは割愛させてもらいました。 ■ |
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