【東海道本線旧線-揖斐川橋梁】
今回の物件は、岐阜県の大垣市と安八町の境い目、揖斐川を渡る東海道本線の旧鉄橋です。 現在は現役線の横で、二輪車と歩行者のための橋としての余生を過ごしています。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
|
|
以前橋の下を通る道からちらっと見て、 「あれ? 今のって古い鉄橋?」 なんて思ってました。 調べてみたら鉄道の橋で、しかも廃物件ですよ。 本当は今でも使われてるんだけどね。 周りには他にもイイ物いっぱい→■周辺図■ |
|
|
ではまず、西側から。 こちらは大垣市になります。 左にちらっと見えるのは、県道261号線です。 旧線の揖斐川橋への道は ポールで塞がれてます。 自動車お断りってわけです。 バイクは通り放題。 でも取り敢えず徒歩で見て来ましょう。 それと、バイクをこんな風に停めちゃ 迷惑なのでやめましょう( ̄▽ ̄) むろん私もすぐどかしましたわヨ。 |
|
|
|
う〜ん、味のあるお姿。 ダブルワーレントラス橋です。 上の写真を見てもわかるけど、 今時のトラス橋に比べたら小さいですね。 電車が通るのは絶対ムリ。 蒸気機関車でもD51とかじゃ無理そうだ。 そんな小さな…っていうか、低い橋なので、 大正時代には新しい橋が造られ、 この揖斐川橋は車用の橋になりました。 そう、昔は自動車も通れたんですね。 |
|
|
|
橋のはしっこの斜めになってる所に こんなプレートが付いてました。 これは・・・英語だ。 「パテント シャフト&アクスルトリー CO LD」 とあります。 「1885」は完成年ですね。 明治18年というわけです。 100年以上前の、なんとも古い橋です。 |
|
|
|
そんなに古い橋なので、 橋脚もレンガ製です。 コンクリートで補強されてますが、 二股になってる所のアーチは健在です。 それと橋の横側に注目。 「ピン」が並んでます。 え? よくワカラナイ? |
|
|
|
すっかり道路が板に付いてます。 |
|
|
|
左側を見ると、 もうひとつ鉄橋が架かってます。 これは樽見鉄道の揖斐川鉄橋です。 特に変わったとこのない橋に見えますが、 ナント! この橋も明治時代の橋です。 1900年(明治33年)製ですって。 明治の橋の上から明治の橋を見てるわけだ。 よく考えたらそれってすごい事だ。 |
|
|
|
さぁて、これが「ピン」ですよ。 |
|
|
|
二輪車は通行OKみたいだけど、 本当に通ってもいいのかなぁ。 なんて考えながら歩いていたら、 反対側からバイクが走って来ました。 しかも白バイだ。 ・・・バイク、通行オッケーですね。 さて、橋の中間あたりまで来ました。 橋のはしっこの上に付いてる “橋門構”という部分がやけに大きく見えます。 頭のすぐ上にあるからですね。 |
|
|
|
やっと渡りきりました。 こっちもポールで車止めされてる。 |
|
|
|
隣の現役の鉄橋との間に橋台の跡があります。 これは二代目の揖斐川橋の物ですね。 大正2年(1913年)に出来た 新しい揖斐川橋の跡です。 煉瓦製です。 ここにもトラス橋が架かってました。 一番古い物と、一番新しい物が残って、 真ん中だけ無くなるなんて ちょっと面白いかも? 少し昔の空中写真には、 3本の橋が仲良く並んでいるのが写ってます。 |
|
|
|
ちょっと橋台の方も見てみましょう。 遠くから見ても変わってるのがわかった。 こりゃ変わってる( ̄▽ ̄) っていうか、何これ? 煉瓦が見た事もない置きかたをしてる。 これは「矢筈積み」ってもんです。 橋桁が乗っかる場所だけに、 強度を増すためでしょうか? |
|
|
|
振り返って見るとこんな感じ。 知らなきゃ鉄道の橋だったなんて わかりませんね。 |
|
|
|
斜面を下りて橋台も見てみよう。 この橋台は横から見ても普通ですが、 正面からだとけっこう特徴があります。 さっき見た橋脚の二股アーチが ここにもあります。 |
|
|
|
橋台の前からだと、 ちょうど真下の写真が撮れます。 昔は枕木が並んでた所に コンクリートの床板が乗っています。 真ん中に2本並んだ鉄材は・・・ もしかして線路の幅にあわせてあるんだろうか? いや、たぶんそうでしょう。 と、言う訳で揖斐川橋のレポートはお終い。 では戻りましょう。 |
|
|
|
せっかくなので、 バイクで橋を渡ってみました。 途中で止まって記念撮影。 こうやってバイクと比較すると、 この橋の小ささがよくわかります。 森林鉄道なみの低さですね。 いや、森林鉄道の方が立派でしたよ。 [2008年3月現在] |
|
■
「揖斐川橋梁」は東海道本線が開通した明治19年(1886年)に供用が開始された鉄橋です。 製作はイギリスのパテントシャフト社が、1885年から1886年に掛けて製造したものです。 設計はイギリス人建築技師ポーナルが担当しました。 下路ダブルワーレントラスという形式で、部材をピンで結合した“ピントラス橋”です。 大正2年(1913年)に新しい揖斐川橋梁が造られた事により、車用の橋となりました。 現在では自動車は通れず、二輪車・自転車・歩行者のための橋になっています。 延長321.7m、幅3.4m、高さ5.2m。 ■ |
|
道ネタ「鉄道」TOPへ…■
|