【岐阜県養老町-旧・源氏橋】
岐阜県養老町の県道の脇に架かる、文化財の橋。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 ふとした事から
 
グーグルマップで見付けた物件。
 それは古い石橋でした。
 しかも大正時代の物です!
 さらに養老町指定文化財なのです。


 場所は、
 県道213号線と96号線が交差する所。
 そこの南側にひっそりと架かっています。
 真ん中の木の左側がそれ。
 いかにもな雰囲気です。
 右の道は県道の旧道で、
 現道はさらに右側を通っています。
 

 橋の側には何やら石柱があった。
 親柱では無いようです。
 近くにあった看板によると、
 明治時代の物だそうです。

 
 さて本題の橋はこちら。
 神社にあるような形の橋ですが、
 こちらの方が渡りやすそう。
 親柱には「源氏橋」
 「大正四年三月架橋」とあります。
 
 床板も当然石造りです。
 幅は狭くて車は無理でしょう。
 大正時代なので、
 馬や荷車が通れる幅なのでしょう。
 高欄も石のパーツで組み立てられてます。
 

 そして何やら模様があります。
 矢羽と櫂なのでしょうか?
 家紋とも違うようだし謎です。
 そんな謎模様が高欄の内側に
 びっしり彫ってあります。

 

 渡った先も藪です。
 藪と言っても背が低い草なので
 楽に歩けますがね。
 でも、こういうのが
 雰囲気を盛り上げます。

 

 こちらの親柱には文字がたくさん。
 「多藝輪中水害豫防組合」とあります。
 この橋は、
 この組合が造った物なんでしょうか?

 
 反対側は……分かりませんね。
 川の名前か橋の名前だろうか?
 ネットで調べてみよう。
 するとまだ雑草が無かった頃の
 画像を見付けました。
  「げんじはし」と平仮名で
 書いてあるっぽいです。
 ちなみに川の名前は津屋川です。
 
 こんどは横から見てみましょう。
 高欄の外側にも何やら模様がある。
 こっちはまさに家紋だ。
 これは「笹竜胆」と言うものです。
 調べたら源氏に関係するそうな。
 むろん源氏橋の名前の由来にも
 関係してますよ。
 詳しい話は後の解説で。
 
 橋脚も当然のように石です。
 細長い石材が3本並んでいて、
 3本目に溝があります。
 両岸の擁壁にも溝があるので、
 板を差し込む物なのでしょう。
 もしかして水害予防のため?
 
 上の画像とは反対側からも見てみた。
 この下を流れるのは津屋川。
 源氏橋は緩やかなアーチ橋です。
 こういう所も神社の橋っぽい。
 でも、実際に人が渡る橋なので
 あんなに極端なアーチじゃありません。
 
 津屋川の南側です。
 自然な川に思えますが、
 左側の土手には道が通ってますので
 川幅が狭くなってるようです。
 でも水草が揺らめく様は
 なかなかに綺麗なものですよ。

 [2023年9月現在]

橋の近くに立つ案内の看板には、1159年の平治之乱に敗れた源義朝が、
平家の追っ手の目を逃れて、ここから船で尾張の国の内海に逃れたとあります。
その故事からこの橋を「源氏橋」呼んだそうです。
現在の津屋川は、とても船が通れる幅ではありませんが、
かつては幅が広い川だったのでしょう。

2枚目の画像の石柱に彫られた文字も、看板に書いてありました。
「源氏橋 自出十八丁養老公園」「明治十三年多芸郡飯木村」
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