【岐阜県・高山市奥飛騨温泉郷-赤桶橋】 岐阜県高山市で、新平湯温泉や栃尾温泉を擁する奥飛騨温泉郷。 そこを通る国道471号線の旧道にひっそりと、吊り橋が架かっています。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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国道471号線の笹島トンネルの横の 旧道になにやら吊り橋らしき橋が 空中写真に写ってたので、 ちょっと見て来ました。 それが結構、思いのほか良い物件でした。 ではまず旧道の様子からどうぞ。 |
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高山市の市街地方面から来て |
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さっそくこれだ。 落石のために通行止めなのですが、 これぐらいなら大丈夫。 今日はオフ車のセロー君なので 全然オッケーですよ。 国道にしてはしょぼいと思ったら、 ここは県道時代の道らしいです。 国道に昇格してから しばらくしてトンネルが出来たみたい。 |
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さて、目的の橋はどこだろう? |
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なんて思ってたら、 道が酷いことに・・・! 今年は大雨の被害が各地で出たけど、 ここもその影響でしょうか? 土砂がたまって水びたしです。 こりゃあ通行止めになるわ。 何とかやり過ごして、 先に進みます。 |
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・・・進める…の? |
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やっと着きました。 たいした距離じゃないのに、 やっとと言う感じです。 で、いきなり巨大アンカレージが 道の横にドーンと構えてます。 路面の延長のようになってるので 上を歩く事が出来ます。 すれ違いの時の待避場になるかも? |
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アンカレージの上からだと、 |
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木々の間から 主塔が見えます。 実に単純なデザインです。 あんまり古くないようですね。 メインケーブルが載ってる サドルという部分も 単なる“みぞ”ですよ。 でも、イイ眺めです。 |
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では渡ってみましょう。 橋へはアンカレージから 少し離れた所から下ります。 おお〜 イイ雰囲気です。 全てが実用本意で造られてるのに、 古そうにデザインされたみたい。 |
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通行制限ですって。 老巧化してて、渡れるのは歩行者だけ。 3人以上同時に渡らないでってある。 まあ、一人でなら問題無しですね。 老巧化って言っても そんなに古そうに見えないね。 やっぱり銘板とかは無いのかな? |
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と思ったら 足下に銘板発見! いくらなんでも低すぎます。 コンクリート製で、 内側にカーブしてます。 「赤桶橋」 “あかおけ”とは、この辺りの地名です。 反対側には「昭和三十四年十一月」 …微妙な古さですね。 |
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観光用とかの橋じゃないので、 実にあっさりしたもんです。 でも、木製の床板はポイント高し。 老巧化なんて言うけど、 特に壊れてる所は無さそうです。 大丈夫そうだけど 静かに渡りましょう。 |
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下を流れるのは「高原川」です。 国道は川の右側を通ってます。 ここからは見えないので、 まるで山奥に居るみたい。 でも、車の音がするので、 すぐに現実に引き戻されますが。 |
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再び話を橋に戻しましょう。 老巧化なんて言うだけあって、 橋桁の床板が歪んでます。 これって、橋桁を吊ってる ハンガーケーブルが伸びて 橋桁が下がってる訳ですね。 直さないのかな? でも直してほしくないかも? |
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地図で見ると、 山道のための橋みたいだけど、 そのわりに長くて立派です。 さっきの看板は高山市の物だったので、 この橋も高山市が造ったのだろうか? それに、あちこちにある 発電所の地域交付金とかで造られた 無駄に立派な施設のひとつなんだろうか? |
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反対側に来ました。 むむ。なにやら様子が・・・? 主塔の向こうにも橋桁がある? これはいわゆる2スパン 2径間と言うものですよ。 ひとまたぎで橋を架けないで、 わざわざ橋脚を立てるのは、 いかなる理由があったのでしょうか? こちら側のアンカレージは、 地面に埋ってました。 |
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赤桶橋を渡った先は 細い林道のような道が続いてました。 林業関係者のための道なんだろうか? と、思ったら家が建ってた。 民家なの? 人の気配が感じられません。 庭も荒れ放題みたいだし 空き家なのかな? 集落があったのだろうか。 |
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けっきょく何のための橋なのか よく分からないまま探索終了。 最後に旧道から見た赤桶橋をどうぞ。 今日はとても天気がいいけど、 橋の床板が白くとんじゃって よく分からない写真になっちゃってます。 |
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赤桶橋から西側に出て来ました。 こちらは整備されてるのか、 問題無く走れました。 あの橋が現役だという証拠ですね。 なので、積極的に通行止め されてない訳ですね。 [2011年10月現在] |
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■ 笹原トンネルが昭和55年に出来ているので、 赤桶橋が架けられてから、20年程で旧道落ちした訳です。 橋から西側は路面の整備もされていて、今でも車の通行があるみたいですが、 東側は放置状態で、落石もそのまま捨て置かれています。 「赤桶」にはかつて、集落がありました。大正時代には119人の住人が居たそうです。 その村も、昭和48年に廃村になったといいます。 今でも水田の耕作が行なわれているそうなので、赤桶橋も現役で活躍してるのでしょう。 赤桶の集落跡からさらに西に行くと、「上平」の集落跡があります。 ■ |
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