【愛知県・県道205号線-城嶺橋】
愛知県春日井市と瀬戸市の境を流れる、庄内川に架かる「城嶺(しろがね)橋」。
昭和12年3月完成のコンクリート橋です。明治時代に造られた初代から数えて3代目になります。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 名古屋の奥座敷とも言われた、
 玉野川渓谷に架かる「城嶺橋」。
 京都の三条大橋を手本にしたそうな。
 どこらへんが三条大橋なのか
 よくわからないけど、
 なかなか立派な橋です。

 その立派な橋はここに→■周辺図■

 名古屋から竜泉寺街道を北上して来ると、
 かつて有料道路だった「愛岐道路」を経て
 定光寺駅に着きます。
 ここは定光寺駅前の「城嶺橋東」交差点。
 いきなり親柱のお出迎えです。
 なんとも大きい。
 その上に緑色の…これはランプ?
 が乗ってます。
 ちょっと可愛い姿ですね。
 
 上の場所から右を向けば、
 橋が見渡せます。
 赤い欄干が京都っぽい?
 アーチが3つありますねぇ。
 これで長さ72m、幅4.5mの大きさで、
 完成まで1年掛かったそうです。
 で、建設費用はいくらだったんだろう?
 え〜と、3万5000円だそうです。
 今なら30億円ぐらいかな?
 それぐらいなら私にも・・・
 出せないって。
 
 橋を渡って、西側に建っている、
 旅館の裏からも見て来ました。
 ここからなら真横の写真が撮れます。
 観光地だっただけあって、
 ロケーションは抜群です。
 さすが名古屋の奥座敷。
 でも今はすっかり過去の話。
 駅のそばの料理屋とか土産物屋なんかは、
 どこも営業してません。
 城嶺橋の西に建つ旅館は、
 この地方では有名な「千歳楼」という
 料理旅館でした。
 今じゃ廃業。廃墟化進行中です。
 
 千歳楼といえばたまにテレビに出てたのに、
 いつの間にか潰れてしまった。
 まだ営業してる旅館もあるけど、
 もう観光地としては、
 完全に終わってしまったのでしょう。
 さて、「城嶺橋 」の名前の由来ですが、
 写真に写ってる旅館の裏山から
 名古屋城がよく見えたことから、
 「城ヶ嶺橋」と名付けられました。
 現在は“ヶ”が取れて「城嶺橋 」です。
 今でも見えるかしら?
 いや、絶対見えないと思うけど。
 
 定光寺駅側の親柱も見てみましょう。
 そういえば、ここからこの橋を渡って、
 山を上がって行った先に
 定光寺があります。
 昔この地で修行していた偉い修行僧のために、
 本堂を建立する事になった時、
 みんなが「定光仏」という霊像を
 掘り出した夢を見たため
 「定光寺」と名付けられたそうです。
 山号は「応夢山」と名付けられました。
 ふもとの旅館の名前はそれにちなんで、
 「応夢亭」といいます。
 橋を渡った先の左にある建物がそれね。
 
 親柱の横には、
 小さめの銘が刻まれてます。
 なんかパイプがくっついてるのが、
 気になるんだけど、
 電線にしては大袈裟だよね。
 もしかしてガスのパイプ?
 親柱の上のランプって、
 ガス灯なんですか?
 
 こんな立派なアーチ橋なんだし、
 下からも見れないだろうかと、
 降りれる場所をさがしてたら、
 小さな階段を発見。
 さっそく降りたら、
 その先は雑草と岩だらけの河原でした。
 橋の下まで歩いて行くのはちょっと大変。
 ころがってるのは、固いチャートです。
 これは1枚目の写真を撮った場所を
 下から見上げてるところですね。
 愛岐道路にもアーチ橋がある。
 
 上から見るのとは違い、
 下から見ると迫力があります。
 それに、アーチも手間が掛かってます。
 アーチだけじゃなく、
 橋桁の裏側も凝ってる。
 ここからだと、路面までけっこうあるけど、
 伊勢湾台風の時は、
 橋桁のすぐ下まで増水したそうです。
 想像すると恐いですね。
 
 伊勢湾台風の時の激流に耐えただけあって、
 完成後70年近く経った今でも、
 優美な姿を見れます。
 昔はどんなに賑わったのでしょうか。
 電車に乗れば、名古屋からでも手軽に来れる
 人気の観光地だったのに、
 今じゃ名古屋と多治見の間を行き来する車の
 通過点でしかありません。
 そう考えると、川岸に立ち並ぶ建物も
 なんだか哀愁を帯びてるように見える。
 
 それと、ちょっと気になる物を発見。
 河原の岩の上に、
 穴の空いたコンクリが沢山あった。
 しかも、一定の間隔で並んでる。
 これって、柱が立っていた跡ですか?
 もしかして初代木造橋の橋脚なのかも。
 いや、そんな物じゃなくて、
 城嶺橋の建設ための足場なんかの跡かも。
 残念ながら詳しい事はわかりませんが、
 橋建設に関わっていた物なのは
 確かでしょう。
 
 近くで見ると、大量に砂利が混ざった
 安っぽいコンクリートです。
 最低限の量しか使ってないのは、
 観光地の景観に配慮したみたいです。
 穴の中を覗いてみたら、
 何と、丸太の切れ端がまだ残ってますよ!
 少なくとも60年以上経ってるのに
 今だにしっかりくっついてます。
 これにはちょっとびっくり。

[2006年8月現在]

名古屋城が見える事から名付けられた「城嶺橋」。現在のコンクリートアーチ橋は3代目になります。
初代は名古屋開府300周年を記念して、明治43年(1910年)4月に完成した、木造の橋でした。
しかし、翌年の8月に洪水で流され、大正元年に吊り橋に架け替えられました。
大正13年(1924年)1月には中央本線の玉野信号所が定光寺駅になり、
景勝地で知られた玉野川渓谷には、名古屋からの観光客が大勢訪れるようになり、
駅の周辺には料理旅館や土産物屋が次々と出来ました。
昭和12年には、名古屋開府330周年の記念で、名古屋駅が新築されたのに併せて、
城嶺橋も新たにコンクリート橋として架け替えられました。
昭和32年には有料道路・愛岐道路も開通し、増々便利になったのですが、
それが逆に、観光地としての玉野川渓谷を、寂れさせる結果になってしまいました。
中央本線も、新しく出来た長いトンネルのため、渓谷も見えなくなり、
名古屋から多治見に抜けるための、ただの通過点になっています。
しかし、3連アーチの堂々たる橋は、伊勢湾台風による激流にも耐え、現在も働き続けています。
道ネタ「橋梁」TOPへ…