岐阜県・西濃鉄道廃線跡-昼飯線】後編
岐阜県大垣市北西には、広大な石灰鉱山「金生山(きんしょうざん)」があります。
そこから石灰石を輸送するために、昭和3年に敷設されたのが、西濃鉄道です。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 昼飯線も前半は、
 思った以上に“いい状態”の廃線でした。
 薮になってるトコなんて、
 たまんないですね。
 おかげで“たね”だらけになったけど…
 それでは「大久保駅」からスイッチバックして、
 終着駅「昼飯駅」へ行ってみよ〜。

 美濃赤坂からの線路と分かれて、
 すぐに踏切り跡が・・・
 って、何もないよ。
 道路と交わる所のレールが、
 アスファルトに埋められてるけど、
 どうもこれは、ここ1〜2年のうちに
 埋められたってより、
 結構前からこんな状態だったみたい。
 休止だった筈が、
 本当に限りなく廃線に近い休止線だったんだね。

 ここから先は低い切り通しです。
 線路の上が怪しくなって来ました。
 
 民家や畑の横を通って来ると・・・
 激薮復活です。
 しかもより激しく。
 うわ…これは無理。
 横から避けて行くのも無理。
 なんといっても、例のとがった種が
 大量にあるんですよ。
 ムリムリ。
 ここは横の道路から回避します。
 その前に、今まで付けた種を取らなきゃ。
 体中種だらけで道を歩くのは、
 ちょっと恥ずかしすぎます(〃▽〃)
 
 100mぐらいで昼飯線に復帰しました。
 ここからは大丈夫そうです。
 何かの工場の中を通ってるみたい。
 ここでも石灰石の積み込みをしてたのでしょうか?
 右のシャッターが閉まった建物なんか、
 ちょっとそれっぽいです。
 ああ、そう言えば、
 まさにこんなのが昼飯線現役当時の景色ですね。
 
 ここの工場は「河合石灰」って会社だけど、
 まるで廃墟のようです。
 現在も稼働中の様子なのに、
 鉄道に関係した所だけ、
 捨てられたのでしょうか?
 ちなみにこの河合石灰工業って会社、
 石灰関連の仕事だけじゃ無く、
 コンピューターソフトの開発なんかも
 やってるらしいです。
 “IT”ってやつですか?
 

 工場の裏手も薮化が始まってます。
 バラストが敷いてあるおかげで、
 まだ大丈夫みたい。
 でも、いつまでもつのやら。

 石灰工場のあるあたりから、
 線路は複線になってます。
 廃線上からは工場のプラントが見えて、
 工場マニアにはたまらない景色です。

 
 河合石灰の工場群を通り過ぎて、
 開けた場所に来ました。
 廃線はすでに廃材置き場と化してます。
 ここの踏切りには、
 遮断機が無かったんでしょうか?
 あ。でも、さっきの踏切りが
 手動の遮断機だったので、
 こんな小さな踏切りには無かったかも。
 

 上の踏切りを南側から見ると、
 なかなか面白い景色です。
 手前の祠はそんなに古くはないみたいです。
 そんなことより、
 道の先にあるのは、
 ホッパーという物の跡だろうか?
 建物自体はすでに無いのですね。
 昔の空中写真を見ると、
 何かの建物が写ってます。
 今じゃ産業遺構。

 
 こっちも遺跡。
 じゃなくて廃墟です。
 民家にも見えるけど、
 これも工場関係の施設でしょうか?
 社宅とか?
 廃線跡から外の景色を見ると、
 みんな廃墟に見える。
 昼飯線と共に全てが朽ちて行くみたいだ。
 実際はそんなことないんですが…ね
 でも、昔の活気は無いような気がする。
 今では昼飯線の周りは住宅地です。
昼飯駅

 さあ、いよいよ終着駅に近付いて来ました。
 徐々に広くなっています。
 相変わらず雑草だらけです。
 先に見えるのはなんだろう?
 駅舎だ。
 あれが「昼飯駅」ですね。
 すごい事に、駅舎が残ってる。
 それに手前の茶色の物はなに?
 
 錆びた貨車だ!
 お〜っと、ここにきて車両が残ってるよ。
 ちょっとテンションが上がるね。
 車輪が外してあるので、
 倉庫がわりに使われていたのでしょう。

 ・・・なにが入ってるんだろう。
 
 おお。これはすばらしい昭和テイスト。
 産業遺産として文化財に指定すべきです。
 それは大袈裟か…
 周りを囲む板のペンキの剥げ具合が絶妙です。
 それに“ひさし”を支える
 金属の部品もすてき。
 アールヌーボー風味です。
 
 こちらが正面になるのでしょうか?
 切り妻屋根は割とあっさりしたデザインだけど、
 入口の上のひさしも切り妻なので、
 いいアクセントになってる。
 それに、屋根の下に開いてる“ハ”の字の穴も、
 全体のイメージに合ってる。
 枯れたつる草もイイ感じです。
 
 入口の上には駅名が書かれた銘版?が
 掛かっています。
 それとも扁額なのかしら?
 「昼飯駅」の“昼”が見なれない字だ。
 “ひる”で変換したら
 “晝”という字が出て来た。
 調べてみたら、今使ってる“昼”は、
 “晝”の略字だそうです。
 なるほどね〜。
 
 ドアは固く閉まっていて、
 中には入れませんので、
 破れたカーテンの隙間からのぞいてみました。
 これは…事務所?
 カウンターの向こうには沢山の書類が
 山積みになってます。
 左端の金属製のパイプはストーブの物だろうか?
 ロッカーやイスや戸棚が古いタイプで、
 この中には昭和の空気が閉じ込められてます。
 あ。でも、壁のポスターが
 いまいち雰囲気にあってないかも?
 
 もう一ケ所、窓のガラスが無い所から
 中を写したのがこれです。
 この自転車もけっこう古そう。
 FUJI製の自転車です。
 サドルが革みたいです。
 かごや荷台には何故だか書類が乗ってる。
 そして、その向こうにはトイレ。
 和式便器です。
 かなり広そうだけど、
 男子用のトイレもあるのでしょう。
 あの立ってするやつ。
 私は使った事ないけど。
 
 これが昼飯線最後の踏切り。
 いえ。踏切りだった場所ですね。
 レールはアスファルトに埋められてます。
 なのにまだこんな看板がある。
 「ふみきりちゅうい」って、
 もう注意する踏切りはありません。
 廃線と言う現実がよくわかる景色です。
 こうやって、人々の生活から
 鉄道が消されていくのです。

 青空の下、この看板は何を想う。
 (ちょっと文学的?)
 
 現在はな〜んにもありませんが、
 以前はホッパーの建物がありました。
 右側の線路の所には、
 不自然に雑草の無い場所があって、
 どうやらそこがそのホッパー跡らしいです。
 奥の方にも、もうひとつホッパーがありましたが、
 そこもきれいさっぱり消えてます。
 もう少し早く来るべきでしたね。
 
 一番奥まで来ました。
 車止めがあります。
 赤い植物は南天の実でしょうか。
 彩り豊かです。
 人の手を離れたとたん、
 廃線跡は元の自然に帰って行きます。
 線路の所も泥だらけ。
 まともに歩けないので、
 レールの上に乗って撮影してます。
 油断すると靴が泥だらけになるけど…
 壁の上の方には柵があるけど、
 現役当時の鉱山施設の一部なんでしょうか?
 
 これは当時の建物の一部、
 …みたいです。
 ここで荷物の受け渡しをしていたのかな?
 パレットが積まれています。
 でも、鉱山に関係ないかもしれない。
 すみません、よくわかりません。
 でもまあ、昔の雰囲気はあるよね。
 
 さきほど下から見てた、
 柵の所に上がって来ました。
 昼飯駅跡の全体が眺められます。
 左側の雑草の無い斜面に
 かつてホッパーがありました。
 まだ最近壊されたのか、
 そこだけ雑草が無くて、何か変な感じ。
 踏切りの遮断機も切り取られてたし、
 廃線跡から物がどんどん無くなっていきます。
 最終的には、更地にしてしまうのだろうか?
 ここもその内、
 マンションでも建てられちゃうかも。
[2007年1月現在]

中山道のかつての宿場町・赤坂町。
そこに通っていた石灰鉱山のための鉄道も、歴史の1ページになってしまいました。
これも時代の流れでしょうか?
駅の跡地などは、ある程度の広さがあるので、再利用されるかもしれませんが、
廃線の大半を占める路盤の長細い土地は、
利用もされないまま、ただ薮に埋もれていくだけでしょう。
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