【岐阜県・県道406号線旧道-久保原隧道】
岐阜県山岡町と岩村町の境にある短い隧道。今は平成の市町村合併により、恵那市の一部です。
旧道化してから長い時間が経ったのか、今や森の中の廃隧道となっています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 以前この近くにある廃道を見て来たけど、
 まさかこんな所に
 廃隧道があろうとは…
 しかも、大正10年の建設です。
 これは楽しみ♪
 しかも楽しみは隧道だけではありませんでした。

 いっしょに地図も見てね→■周辺図■

 県道406号線は以前通 った事があるのですが、
 集落と集落を結ぶ所は真直ぐで、
 実に走りやすい道です。
 しかし地図を見てみると、
 県道からなにやら脇道が出てます。
 地形図ではただの脇道ですが、
 ロードマップにはトンネルが描いてあります。
 実際の現場では、現道は大きな切り通しで
 突っ切って行っちゃいますが、
 やっぱりそういう所には廃道があるものですね。
 廃道入り口には柵で封鎖されてます。
 では入ってみましょう♪
 
 入り口付近には少し広い場所があります。
 しかし、何かの工事中だったらしく、
 路肩部分に、斜面の傾きを整えるための物が
 残ってました。
 ちょうど写真の右端に写ってます。
 でも放棄されているのか、
 すっかり荒れてました。
 廃道の様子もどんどん荒れ来ます。
 
 進むにつれて、道の荒廃はさらに
 大きくなって来ます。
 さっきまでは見えていたアスファルトも
 すでに落ち葉や苔に覆い尽くされてます。
 探索した時は3月の下旬でしたが、
 夏になったら一体どうなるのか…
 薮漕ぎは覚悟しないと…
 でも、距離が短いのがせめてもの救いです。

 さて、隧道のポータルが見えて来ました。
 この景色は想像以上。
 思わぬ上物物件だ〜♪
 
 おお!これは!!
 …何て言うか、微妙なものです。
 四角い石がちょい乱雑に積まれていて、
 山奥の隧道の雰囲気満点です。
 満点ですが、
 アーチ部分にコンクリべったりってのは
 減点ですよね。
 補強のためにはしょうがないんだろうけど、
 もうちょっときれいに直して下さいな。
 でもそれを差し引いても充分素晴らしいです。
 素晴らしいですが、
 コンクリートが剥がれて来てます。
 崩壊が始まってる?
 
 笠石と扁額のアップ。
 古いだけあって右書き
 大正10年制作にしては文字も綺麗に残っていて
 本当に大正時代の物?
 って思っちゃいます。
 見たところ、花崗岩で作った物のようです。
 まだ変化は無いようですが、
 あと百年もしたら風化によって
 ボロボロになってしまうかも。
 
 隧道の中は素堀り。
 明るく写ってますが、実際はもっと暗いです。
 真っ暗で足元も見えません。
 50mぐらいの長さなので、
 思い切って突入します。
 坑門付近のコンクリートは
 壁ごと剥がれてきてる所もあったけど、
 内部は無事で、石ころ一つ落ちてません。
 幅は大体3mほどあって、
 軽自動車なら何とか2台並べられそう。
 しかし、幅がぎりぎりすぎて
 すれ違いは無理です。
 
 隧道から出て、上を見上げるとすごい事に。
 空は無数の竹によって塞がれてます。
 ここに写っている、斜めに錯綜している竹は、
 すべて折れて倒れている物です。
 倒木ならぬ、倒竹。
 とうたけ なんて言葉は無いけど、
 こんな景色初めて見ました。
 そんな事より、外に出て来て廻りを見ると、
 反対側とは景色が一変してます。
 竹だらけです。
 森が竹林になってます。
 植生が変わったのかしらね?
 トンネルを抜けたらそこは竹林だった。
 
 隧道の上から竹が倒れて来て、
 坑門を塞いでます。
 こっちもアーチ部分にコンクリートが
 塗られてますが、
 向こう側に増してさらにべったり。
 扁額の所にまでコンクリで固めてあります。
 すごい美観を損ねてる。
 これってプロの仕事?
 ひどくない?

 でも、ここまでがっちりと補修が必要な程
 隧道が崩れてるって可能性もあります。
 
 こちらの扁額も久保原って書いて…ないです。
 「飯羽間」って何? あ。地名か。
 確かに岩村町には飯羽間(いいばま)って
 地名があります。
 飯羽間とはお米の採れる
 山あいの地と言う意味だそうです。
 隧道の近くにも田んぼがあります。
 さらにここより少し離れた所には、
 飯羽間城と言うお城がありました。
 中世の城ですが、城主が織田信長の
 身内だったらしいのです。
 こんな所にもすごい歴史があったもんです。
 
 さて、隧道を出て左を見ると崖が崩れてます。
 そんなに大きな崩落ではないけど、
 ネットが破られてます。
 それで、何気なく道に落ちている石を見ていたら
 何やら変な模様の付いた石が・・・
 よ〜く見たら葉っぱが付いてます。
 しかもその横の部分には貝殻も付いてます。
 こ、これは化石ではありませんか!
 そこらじゅうの石をひっくり返して探すと、
 あちこちの石に、貝や植物の化石が付いてます。
 中世どころか、一気に古代まで遡っちゃいました。
 これは大発見か?
 
 地層をよく見てみれば、
 砂岩やシルトで出来ているみたい。
 だから隧道がコンクリート吹き付けなんだ。
 他にも似たような地質にあるトンネルも
 コンクリートの吹き付けでした。
 大発見か?と思ったけど、ここいら一帯、
 わりと知られた化石産地でした。残念!
 でもここは誰も知らないかも。
 落ちていた化石は動かした形跡はなかったし、
 人が踏み込んだ跡すらありません。
 さて、とりあえず先に進んでみましょう。
 竹林を抜けると広い場所になります。
 でも、笹やすすきがいっぱい生えてます。
 
 柵がある所に来ると廃道も終わりです。
 これより先は車も入って来れる
 「旧道」になります。
 田んぼがあるためです。
 しかし、ここから隧道の方を見てみると、
 用事でも無い限り、入ろうなどとは思わない
 薮に埋もれた廃道が続いてます。
 この先に化石の出る露頭があるなんて
 予想すら出来ない景色です。
 これじゃ誰にも知られないだろうね。
 
 薮を抜けると気持ちの良い場所に出ます。
 旧道の先には現道の406号線が見えます。
 短い廃道の探索でしたが、
 ここに来て達成感すら感じてしまいます。
 空が高くて、見上げたまましばし小休止。
 一旦、現道に出て今来た方向を見ると、
 広くて快適な道が真直ぐ続いてますが、
 なんとも面白みの無い景色です。
 帰りも隧道側を通って行く事にします。
 こちらから見た廃道の景色は、
 違う表情を見せてくれるのでしょうか?
[2005年3月現在]

大正時代の隧道と言っても、後世の補修等によってオリジナル度は低くなってしまいました。
しかし、旧道の気持ちの良い程の荒れっぷりは、廃テイスト満点でした。
隠れた名品と言ってもいいかもしれませんね。

現在久保原隧道は物置きに利用されており、中に入れなくなっています。
道ネタ「隧道」TOPへ…