【岐阜県-北恵那鉄道・廃鉄橋-2】
大井ダム建設によって、付知川流域でのいかだを使った木材輸送が出来なくなった代わりに、
中津川から下付知を結ぶ「北恵那鉄道」が、大正13年に開業しました。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 期待以上だった「木曽川橋梁」。
 プレートガーター橋なら結構あるけど、
 あんな立派なトラス橋は素敵です。
 …実は昔に見た事があったけど、
 しばらく忘れてました。
 今回はいわば、再会って訳ですね。
 さて、お次は山の中の廃線跡探索です。

 「恵那峡口駅」跡から先は、
 集落の外れを通る道になってます。
 何でもないただの細い道だけど、
 わかる人にはわかる
 鉄道の廃線跡の雰囲気があります。
 ちょっぴりマニアックであります。
 ちなみにこの写真は、
 「恵那峡口駅」の方を撮ってます。
 これから行く「上地橋梁」は、
 道を手前側に進んだ方にあります。
 
 で、すぐにこんな物が。
 右の石垣にあるのは、橋台ですよね?
 橋があったの?
 でも反対側には家が建っていて、
 橋があったようには見えません。
 しかも右の斜面の上には神社があるようです。
 左側にも何か神社の建物があります。
 この場所は、もとは境内の一部だったのかも?
 鉄道の線路が強引に突っ切った訳ですね。
 こういうのって、よく見掛けますよね。
 村人の反対運動とか無いのだろうか?
 
 橋台の対面には何かの跡が…
 これは橋台?
 やっぱり橋があった・・・
 あ!そうか、跨線橋なのか。
 もしかして、線路で分断された参道の代わりに、
 神社に行くための跨線橋なんだろうか?
 今は道路から行ける階段がありますが、
 昔は踏切りなど無かったでしょう。
 北恵那鉄道が廃止されて用済みとなったので、
 取り壊されたのかも。
 
 さらに廃線跡の道を進むと、
 間もなくアスファルトが途切れ、
 行き止りとなります。
 この写真は直前の様子です。
 ちょっとした広場になっていて、
 車が置いてありました。

 その広場から先は、
 廃線跡らしく荒れた道になってます。
 季節がら落ち葉が沢山落ちてるし、
 倒木もあって廃道みたいな雰囲気。
 軽い薮漕ぎをすると、
 すぐに鉄橋が見えて来ました。

上地橋梁

 これが次の鉄橋、「上地橋梁」です。
 木々に埋もれるように架かってます。
 見てわかる通り、結構高い場所にあります。
 では渡って・・・は、みません。
 ここでいったん戻って、
 下を通ってる道路から反対側に行きます。

 ここから斜面を下っても、
 下の道路まで行けるみたいですが、
 また坂を上がるのはめんどくさいので、
 大回りして来ます。
 
 鉄橋の所からバイクでもって、
 橋脚の下まで来ました。
 実はここまで来るのに、
 恵那峡口駅跡まで戻らなくてはなりません。
 途中で下に下りる場所が無いのです。
 それにしても高い鉄橋です。
 木曽川橋梁の所では、
 道路から3mぐらいしか無かった筈なのに、
 10m以上の高さがあります。
 これからの山越えのために、
 高さを稼いでいる訳ですね。
 
 じゃあ、鉄橋の先の廃線跡を
 たどってみましょう。
 …でもあんな高い所は行けないよォ(´Д`)
 そうだ廃線横を通って、
 手ごろな所から廃線跡に行こう。
 さいわい廃線跡の横に山道があります。
 写真の真ん中にその道が写ってます。
 写真じゃわかりませんが、
 細い道があります。
 道と言っても薮に埋もれてます。
 途中に小さな川がありますが、
 枕木の橋が架かってました。
 折れそうだったけど…
 
 しばらく山道を歩くと
 手ごろな斜面があったので、
 廃線跡まで登ってみました。
 で、これが廃線跡の路盤ですね。
 すっかり薮になってます。
 戻って来た時に、ここがわかるように、
 目印を残して廃線跡探索に出発。
 
 鉄道が通ってた所なので、
 薮に埋もれた状態でもわかりやすいです。
 でも、ほとんど何も残ってません。
 ず〜っとただの築堤が続きます。
 上の写真のような景色ばかりだけど、
 ちょっと様子が違う場所があった。
 近付いてみたら
 斜めになった竹だった。
 覆い被さる様に倒れた竹が、
 独特な雰囲気をかもし出してた。
 
 レールとかは無くても、
 枕木が落ちてた。
 微妙な感じだった。

 こ〜んな倒木もいっぱいあった。
 跨いだりくぐったり、
 けっこう大変になってきた。
 この辺は切り通しなので、
 廃道みたいな感じです。
 
 切り通しと言っても
 こんな程度の、低いものです。
 石積みの法面が人の手が入った証拠になってる。
 道路の廃道と違って、
 アスファルトとかガードレールとか
 そういった物が無いので、
 山の中を歩いてるような感覚です。

 さて、どれぐらい歩いたでしょうか?
 もうそろそろ次の橋に着く頃です。
鉄橋跡(プレートガーダ橋)

 ありました。
 鉄橋跡。
 長さは15mぐらいでしょうか?
 しかも枕木がまだ残ってる。
 これはすごい。
 まさに、山の中の廃鉄橋跡。
 雰囲気抜群です。

 
 下には小さな川が流れてます。
 でも水量は多めです。
 そんなに高さはありませんね。
 しかし、中途半端に残った枕木は
 乗ると壊れそうなぐらいボロボロです。
 ここを渡って行けば、
 この次の鉄橋まではすぐです。
 すぐですが、ここで撤収。
 この鉄橋、渡れそうで渡れない。
 渡れなくはないんだけど、
 作者がへたれなので無理。
 

 とは言え、諦め切れないので、
 なんとか反対側へ行けないかと、
 川を渡れるポイントを捜索中。
 まあ、そんな所はありませんでしたが…
 でも面白い物を発見。
 廃線跡の横の山の中に、
 こんな看板があった。
 「危険 発破・□□ 立入禁止」とあります。
 え? こんなところで発破作業ですか?
 それは大変危険だ。…なんてね。
 まあ古い看板なので、今は大丈夫でしょう。
 それでは、引き返しますか。

 
 先程の“目印”まで戻って来ました。
 でも、ここで帰るのは勿体無い。
 廃線跡を上地橋梁まで戻ってみます。
 100mぐらいで着きました。
 「危険につき立入禁止」ですって。
 まあ確かに、この向こうは
 10mぐらいの高さがあるので危険ですね。
 この看板がなければ、
 うっかり者は落ちるかも?

 さっきと反対から見た「上地橋梁」。
 「木曽川橋梁」の方の山が見えます。
 この鉄橋も、
 途中が“くの字”に曲がってる。
 あまりに微妙な曲がり具合なので、
 下からは直線にしか見えないです。

[2006年11月現在]

廃線跡を歩いていても、そんなに感じないのですが、
「上地橋梁」から先は急勾配になっていて、ここを通る列車はゆっくりとしか進めなかったそうです。
列車がこの登り勾配に差し掛かると、電圧が急激に降下したために、
他の列車の車内灯まで暗くなったと言います。
「上地橋梁」を過ぎると、次の山之田川駅までは、あと鉄橋が4箇所ほどあります。
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