【国道158号線-旧・稲核橋】いねこきはし
長野県松本市にある梓川の3ダムのひとつ、稲核ダムの目の前に架かる廃橋梁です。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 「弥生の森の散歩径」さんで見た
 アーチ橋にようやっと行って来ました。
 画像で見ると、
 今にも壊れそうな橋だったけど
 はたして渡れるのか?

 国道158号線の旧道の橋で、
 現道橋のすぐ横にあるのですが、
 どうやってそこに行こう。
 現道の橋からは行けそうにありません。
 どうやら東側の洞門の所から
 林道みたいな旧道に入るみたいです。
 分かり辛い分岐を曲がって
 350mぐらいで旧・稲核橋に出ます。
 本当にダムの目の前なんだね。
 丸山ダムと小和澤橋みたいだ。
 
 いわゆる「上路アーチ」なので、
 橋の上はイマイチ殺風景です。
 なんか、橋の上に土が溜まって
 未舗装路みたいになってます。
 で…でわ、渡ってみましょう。
 大丈夫だと分かっていても
 古い橋を渡るのって、少し緊張します。
 あ。左上の橋が、現・稲核橋ね。
 
 親柱はと言うと…
 植物に埋もれてた。
 欄干がくっついてるこれは
 親柱じゃありませんね。
 その後ろのボロくなったのが親柱です。
 でも、欄干の繋がってる所が変だ。
 下にずれてる…
 そんだけですが…
 
 さすがに、橋の上の路面が
 未舗装な訳がないので
 ちゃんとアスファルトがありますよ。
 すっかり廃道色になっちゃてますが。
 色と言えば、欄干に絡み付く
 藤の花のムラサキが綺麗です。
 橋の周りに藤の花が咲いていて、
 印象深いです。
 そう言えば、近くにある「藤橋」は
 名前に“藤”の字が入ってるのに
 藤の花が全然咲いてなかった。
 
 渡った先は崖にぶつかってお終い。
 旧道はまだ右側に続いてますがね。
 今日の主役は稲核橋なので
 続きの旧道は、また今度と言う事で。
 

 こちらの親柱はよく見えます。
 銘板はどこかに逝っちゃってますが…
 しかも、親柱・旧道橋・現道橋が
 バランス良く画面に収まりますよ。
 現道橋があんなに高い位置にあるのは、
 ダムの高さを越えるためです。

 
 越えるべきはこのダム。
 稲核(いねこき)ダムです。
 本体の高さは60mだそうです。
 これを越えるために
 あんなに高い位置に橋があるのです。
 ちなみにこの稲核ダムは、
 梓川の3つのダムの中で
 一番小さいそうです。
 
 橋の上ばかりじゃなんなので、
 横からも写したいけど、
 植物の勢いが良くて
 橋のアーチがよく見えません。
 ここにも藤の花が綺麗に咲いてました。

 もうちょっと離れてみましょう。
 
 ダムに向かって道が下っていて
 ちょっと橋より下の方から見えます。
 対岸の旧道の下に階段がありますが、
 通れるかどうかは不明です。
 で、橋は・・・
 思った通り、よく見えますよ。
 新旧競演です。
 古い橋に新しい橋が乗ってるみたいだ。
 乗ってないけど。
 
 さっきの欄干に絡み付く
 藤の花をアップにしてみました。
 橋が自然と一体になってる。
 この旧・稲核橋は
 どれほど古いかと思ったら、
 昭和11年に出来たそうな。
 しかも2代目で、
 初代は吊り橋だったのです。
現・稲核橋(3代目)

 お次は現・稲核橋を見てみよう。
 こっちも上路アーチです。
 2ヒンジタイプですね。
 ここから見上げると中々の迫力です。
 橋台の横の岩に、
 石仏が2体、佇んでます。
 
 橋台の横からだと、
 さらに迫力の景色が見えます。
 ただし、この撮影ポイントは
 断崖絶壁の上なので危険です。

[2012年5月現在]

梓川沿いの国道158号線は、かつての「野麦街道」でした。
小説『あゝ野麦峠』で一躍有名になった、あの峠を越える街道です。
飛騨高山と江戸を結ぶ重要な街道で、明治時代には馬車が通るようになった為、
梓川を渡る橋が必要になり、明治36年に初代の吊り橋が架けられたそうです。
1936年(昭和11年)には、路面とアーチをプラットトラスで繋いだ
鋼アーチに架け替えられました。長さは74m。
道ネタ「橋梁」TOPへ…