【愛知県・県道37号線廃道-宮崎街道明見坂】前編
愛知県岡崎市明見町を通る県道37号線は、かつて宮崎街道でした。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 岡崎市の山の中にも
 味のある廃道がありました。
 ネット上で知った道ですが、
 薮に埋もれてるそうです。
 なので冬に探索に行ってきました。
 【周辺図


 国道473号とくらがり渓谷の間にあり、
 県道37号線沿いの目立たない所に
 廃道の入口はあります。
 ここの南側に「わんPark」
 とかいうのがあるので
 目印にするといいかも?
 で、廃道は目の前の黄色い看板の裏側。
 ゆるい斜面ですが
 道があるようには見えません…

 
 斜面の上を見ると
 道のあった証拠があった。
 道標のようです。
 文字が彫ってあったけど、
 よく分からなかった。
 さて、道はというと…
 こっちもよく分からない。
 入口部分は薮に埋もれてるそうなので
 右側に向かって薮を突っ切ります。
 
 薮をかき分けて行くと
 間もなく道らしい所があらわれました。
 1車線分の幅がある
 あきらかな道の跡です。
 
 路面の状態がこれぐらいなら
 夏に来ても大丈夫だった?
 斜面を削って道が造られてます。
 それに何かパイプが通ってるけど、
 これは何のため?

 下を見ると
 現道より高い場所に居るのが分かる。
 廃道はずっと坂道なので
 もっと高くなりますよ。

 なるほど、だからここの道は
 明見(みょうけん)坂と言う訳なのね。
 
 廃道後どれほど時間が経ったのか、
 道の真ん中に木が生えてる。
 左側の崖は
 岩肌がむき出しで
 ゴツゴツしてます。

 現道側の落石防止の為に
 ネットが張られてますが、
 ネットを引っ張るケーブルが
 旧道の崖の岩に打ち込まれてます。
 この先に何本もありますが、
 歩くのに邪魔にはならないですね。
 
 落石や倒木がありますが、
 今の所は大丈夫。
 道を塞ぐほどじゃありません。
 おや?前方に見えるあれは…
 
 でっかい落石だ!
 大丈夫じゃなかった。
 上を見ると
 せり出した岩場があった!!
 しかも今にも剥がれ落ちて来そう。
 これは頁岩なのかな?
 剥がれやすい岩なので
 ビクビクしながら通過。
 
 路肩の外を見れば
 石垣なのかな?
 道が整えられてます。

 もう下の現道は
 見えなくなった。

 軽トラならなんとか通れそうな程の
 狭い道が続きます。
 今となっては自転車でさえ大変ですが…
 遠くを見れば川が見えます。
 「男川」だそうです。
 現道沿いを進んでたのはここまで。
 これから峠に向かうため
 左側に曲がって行きます。
 
 さっきまで崖っぷちだったけど、
 道の外は緩やかな斜面になってます。
 たびたび倒木に
 道を塞がれますが、
 特にヤバイ所はなかった。
 廃道後60年以上経ってるそうだけど、
 思いのほか歩きやすい道でした。
 
 ついに来ました
 峠。
 切り通しになってます。
 峠の前は広くてなだらかです。
 これって土砂が流れて
 峠道が削られてるから?

 峠を越える前に
 ちょっと寄り道をします。
 

 切り通しの手前に
 石碑が立っているそうです。
 道の周りを探すと…
 あったありました。
 「宮崎街道之碑」
 すごく立派な物です。
 タイトルは大きくて見易いですが、
 下の小さな文字は分かり辛いので
 後から調べてみましょう。


 石碑の後ろ姿です。
 街道を見守るように
 ぽつんと立ってます。
[2019年12月現在]

 後編では、
 切り通しの向こうに行きます。


県道37号線は、かつて宮崎街道と呼ばれていました。
明見の辺りは難所のひとつで、初代村長・山本源吉の発案により、
明見坂が、馬や車の通れる道に改修される事になりました。
しかし、工費の多さから村人が反対。源吉は熱心に説得に回ったといいます。
明治24年1月に起工、同25年1月に3,500円の費用を使い完成しました。
街道の改修工事が行われた事により、山の値段が三倍となったそうです。

「宮崎街道碑」には「額田郡の東北山多し。其の奇にして険なるもの十を以て数ふべし。
本郡六道改修の議興る。縣崖絶谷数ふるに勝ふべからざるなり。其の最たるものに
明見・田原の峻険あり。宮崎街道とは宮崎より西の方岡崎に達し、北の方作手に達す。
(中略)明治二四年一月、工を起こし、二五年一月に至りて成る。
それ、其の役たるや亦大なり。額を費す金三千五百余円。(後略)」
とあります。(額田町史より引用)

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