【国道417号線-徳山の橋】2005年9月編-後編
岐阜県に建設されている巨大ダム・徳山ダム。完成すれば日本一の規模になる、ロックフィルダムです。
このダムにより一つの村が消えました。
かつての村内には、捨てられた橋、工事のための橋、そして新たに造られる付け替え橋。
消え行く村の風景を、「橋」という視点からレポートしてみたいと思います。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 間もなくダムに沈む旧・徳山村。
 その前に見ておこうと、
 行って来ました。
 10年以上前に行ったきり
 ずっと御無沙汰でしたが、
 はたしてどんな風に変わってるのか?
 今回はさらに西に行きます。

 国道にはこんな小さな橋もありました。
 一般的なラーメン橋です。
 別に何の変哲も無い、よくある橋です。
 でも、なんか酷いことになってる。
 「うるしたにはし」と書かれた親柱が
 傾いて落っこちそうになってます。
【漆谷橋】

 ここから見えない所の親柱は、
 すでに落っこちてた。
 いや、落ちそうになってた。
 何とか鉄筋一本で持ちこたえていたけど。
 で、よく見たらガードレールの上に
 赤い布がぶら下がってます。
 これって、ダンプカーのための物ですか?
 すごいおおげさな気がするけど。
 まあ、こんなに低いガードレールじゃ
 高い運転席からは見にくいでしょうから。
【漆谷上原橋】

 ここからも付け替え橋の姿が見れます。
 「漆谷上原橋」です。
 全長322.5m、高さ約61m。
 ここも、3径間連続PCラーメン箱桁橋です。
 新旧競演ってところですね。
 いえ、新旧交代ですか?
 まるで、山陰から覗く2人の巨人のよう。

 この辺りは集落があった跡みたいです。
 カーブミラーは当時の痕跡でしょうか?
 この建物も徳山村時代のもの?
 っていうか現役っぽい気がするけど、
 気のせいよね?
 

 国道沿いには付け替え道に造られる
 橋や隧道に関する看板が立ってます。
 これは「カンノセ合掌隧道」の物です。
 「カンノセ」の由来の説明を、
 半透明のプラスチック板に印刷して
 木の板に貼ってあります。
 デザイン的に工夫がしてあり
 気合いが入ってますよ。

【水没橋-廃橋梁2】

 少し行くと人道橋らしき物があります。
 しかし、国道から行く事は出来ません。
 結構な段差があるのと、薮に阻まれて
 そう簡単には近付けません。
 いや、頑張れば行けそうだけど、
 今日はそんなに頑張りたくないし…
 ひと冬越せば、雑草が枯れて
 簡単に近付けそうです。
 立入禁止の看板があるけど、
 言われなくても立ち入れません。
 

 でも、橋自体はそんな面白い物じゃないね。
 それに渡ってみたところで、
 先の前畑橋と同じで、道がありません。
 完全に川の中に取り残されてます。
 どこからも行けない。
 どこへも行けない。
 何だか、村が消えると言う事が実感出来る
 風景であります。

 
 川の中には、なにやら大きな岩が…
 上には木まで生えて
 なんだか島みたい。
 この岩は有名な所らしく、
 酷道417号線を紹介しているサイトでは
 かならずと言ってもいい程出て来ます。
 ・・・そんなに凄い景色なのかな?これ?

 先程の橋を、少し離れた所から見てみた。
 遠くに赤い橋が小さく見えます。
 で、皆さん気になるのが、
 橋の後ろにある山でしょう。
 ここの場所だけまだら模様になってます。
 道…があるわけではないようです。
 なんなのこれ?
 調べてみたらどうやらここは
 「コア山」と言って、遮水材(コア)を
 採取する所だそうです。
 表面の粘土を剥がしたので、
 あんな姿になったのですね。
【水没橋3】

 さらに上流に行くと、
 国道から斜めに分岐する道が現れます。
 その先にも古い橋があります。
 見ての通り、この橋は今だ現役です。
 この辺りの川原は荒れたような雰囲気で、
 もう何年も管理されないで、
 ほったらかしなのでしょう。
 この写真は、橋を渡って国道側を撮影。
 橋の名前がわからないので
 取り敢えず「水没橋3」という事に。
 
 橋の上から見ても国道の姿は
 よくわかりません。
 右側の緑が薄くなった所が
 国道の通ってる場所です。

 橋の上の様子は、なんて事のない景色。
 この橋が旧・徳山村になければ
 ここに取り上げたりはしないでしょう。

 親柱はもうボロボロ。
 高欄は鉄製だけど、これってオリジナルでは
 ありませんよね?
 普通、本体がコンクリート製なら
 高欄もコンクリートで造るものです。
 たぶん、壊れた高欄を補修したのでしょう。
 おかげで、9月だと言うのに
 寒々しい景色になってる。
 
 下から見ても普通な橋です。
 特に古い物でもなさそうです。
 
 橋台のアップ。
 まだまだ10年くらいは現役でいられそうだけど、
 ダムのために、橋の寿命は強制終了です。
 揖斐川に架かっていた3本の橋は、
 どれもまだ、充分に使えそうですが、
 “橋”にとっては納得いかない幕切れでしょう。

 よく見たら、親柱と高欄の柵が繋がってない。
 車がぶつかったら、ボッキリ折れそう。
 
 さすがに酷道なんて言われる道です。
 こんな危険な場所もなにげにあります。
 ガードレールもなくて、
 河原までは5m以上もありそうな急斜面です。
 それに、思いのほか車の通行が多い。
 ここでの撮影は、結構恐いです。

 これはさっきの橋を振り返って見たところ。
 
 こっちが進行方向の景色です。
 あ。ガードレールがある。
 それはここにこそ必要だと思うんだけど…
 直線部分には付けないの?
 だからこそ酷道って訳ですね。
 それにここから次の橋と隧道が見えます。
 「櫨原義徳隧道」だそうです。
 写真じゃ小さくてよく見えないけど、
 ずっと前の山の中腹に口を開けてます。
【磯谷ベロリ橋】

 また巨大な橋がありました。
 「磯谷(いそんだに)ベロリ橋」
 ベロリって何?
 全長252m、高さ約65m。
 やっぱり、3径間連続PCラーメン箱桁橋です。
 それにしても変わった名前の橋が多いです。
 県道の付け替え橋にも
 「クツ尾ゴンニョ橋」「クツ尾ギソ見橋」
 「しで原憂い橋」
 なんてのがあります。
 っていうか、名前凝り過ぎ。
 
 ここにも詳しく解説している看板があります。
 こんな丁寧なのは、他では見掛けません。
 「内外ケーブル併用方式」って工法で
 造られてるそうです。
 始めて聞いた。
 もう1枚立ってる看板には
 橋の名前の由来が書いてあった。
 それによると、谷の奥に「ベロリ穴」と言う
 岩穴があって、猟師と白い熊に関する
 民話があるそうです。
 白い熊って、白蛇や白虎みたいなものでしょう。
 でも3つとも実在の動物ですよね。
 ホワイトタイガーとかね。
 
 国道417号線はまだまだ続きますが、
 今回はここまで。
 この旧・徳山村は、
 ダム湖の底に沈んでしまうまで、あとわずかです。
 それまでの間、
 まめにチェックして行きたいと思います。

[2005年9月現在]

変わった名前や味のある名前が付いた橋や隧道達ですが、
それらが完成する時が、旧・徳山村の歴史の幕を引く時になるとは、何と言う皮肉でしょう。
残された時間は、もうそんなに長くはないです。
せめてそれまでは、ここの風景を記録していきたいと思います。
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