【国道256号線旧道-小芝の掘割】 長野県阿智村清内路を通る国道256号線脇に残る史跡「小芝の掘割」。 明治時代に造られた道路遺構は、ミステリアスな雰囲気を醸し出していました。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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長野県の国道の横に、 山がバックリ割れた所を見付けて 行ってみれば、 何と、明治時代の切り通しですって。 「おしばのほりわり」と言うそうな。 いったいどんなモノなんだろう? |
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飯田市から帰ろうと 何気なく通った国道256号線で、 すごいモノを見付けちゃった。 まず、写真を見て下さい。 山の一部が切り取られてます。 これは尋常じゃないよ。 一度通り過ぎたけど、 Uターンして戻って来ました。 国道の切り通しの横にあるし、 旧道なのかもしれません。 |
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ちょうど車の置けるスペースがあったので バイクを置いておきました。 で、さっそくこんな物が… 「史跡 小芝の掘割」 なんと、明治42年!! そんなに古いものだったの? これはもう遺跡ですね。 ああ。史跡と書いてあったか。 |
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明治時代に、 人のチカラだけで造ったそうですが、 こんな固そうな岩盤なのに、 手で掘ったんですね。 向こうにガードレールがあるので、 車も走ってたのでしょうか? ってことは、国道の旧道だった? え〜と… 何か視線を感じるのですが… 画面左側を見ると、顔がある! あれ? 石仏の頭だけが置いてあるの? |
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地蔵菩薩か馬頭観音の頭かと思ったけど、 ナニコレ? 女の子? 相撲取り? なんか現代彫刻のようだ。 で、何でこんな所に置いてあるの? しかし、頭の色や質感が 周りの岩と違和感がないので、 崖に直接彫った…とか? う〜〜ん、ミステリィ。 |
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ちょっと離れた所に湧き水がありました。 小さな歌碑もあり、 古い街道の雰囲気満点です。 さて、もうひとつ気になるモノが… 掘割の前に、建物の跡があるのです。 この時は分からなかったのですが、 後から調べたら、ここにあった料理屋が 火事で焼けてしまったそうです。 これはその料理屋の建物の土台が 残ったものなワケですね。 |
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まあ、それより掘割ですよ。 これが明治の道。 何ともイイ雰囲気の景色です。 ガードレールは昭和になってから 設置されたのでしょうか。 路面は未舗装で、 林道のようです。 |
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この掘割、結構な高さがあります。 12〜3mぐらい? 見上げるような感じを 何とか写せないかと、 あれこれ角度を変えて写したけど、 高そうに見えます? これを人がノミで彫ったなんて 信じられませんね。 でも、こんなに山を削らなくても、 隧道でもよかったような・・・ いえ、きっと明治時代には 切り通しを造るのが一般的なのでしょう。 鎌倉にもこんな切り通しがありますしね。 それと、画面右上の部分の影は 岩が崩れた跡です。 切り通しを造った当時からあるのか、 後から崩落したのか分かりませんが、 ちょっと怖くなる景色です。 |
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さらに先に行ってみましょう。 明確な道が続いてます。 路面の雑草の様子が 車が通ってる跡に見える。 最近まで車が通ってた? でも、今は通れないですね。 だってほら、ちょっと先に・・・ |
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岩のブロックが落ちてます。 落ちてる、って言うか まるで置いてあるみたい。 崖の方を見ると、岩が抜けたらしき へこんだ所があります。 ギリギリ1車線分の幅しか無いので、 車は通れません。 |
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岩のブロックを過ぎると、 すぐ現道に合流して旧道はお終い。 こっちから見ても これが旧道だなんて分かりませんね。 本当にただの山道。 現道はズバッと切り開かれてるけど、 明治の掘割は 人々の苦闘の歴史を感じさせます。 [2011年10月現在] |
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■ 掘割は清内路と昼神温泉との間に位置しています。 この付近は、約1億年前の白亜紀に、地中の深い場所で固まった、花崗岩類で出来ています。 そんな固い岩盤を削ってまで、道を造らねばならない程の難所だったのでしょうか。 ● 全焼してしまった料理屋ですが、ここには鹿や猪の肉を使った鍋などを出す 「山河料理 掘割」という店がありました。 人気があったらしく、あちこちのブログで紹介されています。 秋になれば、店の周りの木々が綺麗に紅葉してたそうですが、今は火事で焼け落ちたのか、 掘割の西側の斜面の木は無くなり、岩肌がむき出しになった、無惨な状態になっています。 しかし現在は新店舗にて営業を再開しておられます。 古い店舗は、戦後の雰囲気があると言う事で、映画のロケ地にもなったそうです。 ■ |
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