【三重県・県道119号線旧道-女鬼隧道】
三重県真ん中を通る、伊勢自動車道の勢和多気インターの近くに、ひっそりと存在する旧隧道。 県道119号線の旧道にある隧道は、いい雰囲気の廃物件になっていました。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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三重県の地図を見ていて 偶然見付けた旧道の隧道。 名前もすごい…「女鬼隧道」。 なんかすごそうだわ(≧▽≦) 高速道路を使えば簡単に行けるので、 さっそく行ってみました。 いい雰囲気の廃隧道はココ!→■周辺図■ |
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伊勢自動車道の勢和多気インターから 国道・県道と6kmあまり走ると、 「新女鬼トンネル」に着きます。 旧道への分岐はこんな感じ。 北側から来ると、 手前に旧道のような細い道があるので だまされちゃだめよ。 ・・・私、だまされました( ̄Д ̄) 奥に伊勢自動車道の築堤が見えるけど、 それ関係の道みたいです。たぶん。 |
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う〜ん、もろ旧道の景色。 っていうか、林道みたい。 実際は右側に現道トンネルが見えるのですが。 バイクの左側にも道があって、 山を上がって行きます。 関係者以外立入禁止になってるけど、 どこに通じてるのだろうか? 謎ですね。 で、その道に、どういう訳か ホタテの貝殻がたくさん捨ててあった。 …謎ですね。 |
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控えめながら効果的な車止めブロック。 案外アスファルトはきれいですね。 もう少し歩くと… |
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盛り上がって来ました(≧▽≦) 路面には落ち葉が積もり、 徐々に荒れて来ました。 左右が切り通しになって カーブの向こうには隧道が・・・ と、その前に。 左側の法面はコンクリートの壁です。 新しい物みたいですが、 ちょっと興醒め? |
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これよこれ。 |
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昭和9年竣工だそうです。 ポータルはコンクリート製かな? 横線がいいアクセントになってます。 なるほど、鉄のフタがされてる。 扉もあるけど開いてます。 いや、開けられてる? よく見ると、電線がぐるりと周り込んで 鉄のフタの穴から中に入ってる。 扉はこの電線のメンテのためでしょうか? |
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扁額も見てみましょう。 |
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では、中に入ってみます。 う〜ん… 微妙な広さだわ。 全長103m、幅3m、高さ4mのサイズです。 幅が3mじゃあ、 軽自動車同士のすれ違いさえできませんね。 この隧道の開通当時は それでもよかったんだろうけど、 今じゃムリですね。 それにしても、壁が漏水でびしょ濡れ。 雨降りの日には大量の水洩れがあったそうな。 側溝があるのはそのため? |
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これは照明設備ですね。 もはや錆の固まり。 現地じゃ気付かなかったけど、 壁の型枠の跡が、かな〜りきれいです。 昭和9年に造られたとは思えないぐらいに… ところがある資料によると、 この隧道、もともと“素堀り”だったようです。 後からコンクリートで補修したみたい。 間違い無く戦後ですね。 昭和30年代あたりかな? あ。じゃあ、カーブの所の壁も 同時代の補修なんだろうか? |
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隧道の中は、よくある・・・ まあ、“普通”ですわね。 このフタが無ければ、 ただの古いトンネルだし。 こっちはがっちり閉まってる。 ネットで見た画像には、 開いてる写真があったのに、閉まってる。 いや、これが本来の状態ですよね? でも開くかな? ・・・押してみたけど開かなかった。 まあ、世の中そんなもんです… |
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か弱い私に、あの扉は開けれないので、 新トンネルを通って反対側まで来ました。 こちらは旧道がわかりやすいですね。 っていうか、すぐ隣だ。 「新女鬼トンネル」は平成8年12月開通、 全長241m、幅7m、高さ4.7mあります。 幅なんか女鬼隧道の倍以上あります。 ポータルには“柿”が描いてある。 向う側には“茶摘み”の絵があった。 こういうのが90年代のテイストなのかしら? こちらもブロックで塞がれ・・・てない。 どかしてあります。 |
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旧道部分に入ってみましょう。 南側なので陽当たりも良く、 明るい雰囲気です。 路面うえには「40」のペイントが残ってます。 それに、センターラインには、 沢山の“ボツボツ ”がある。 これは車のタイヤがラインを踏むと、 ブ〜〜ンと音が出る仕掛けです。 センターラインを越えた事がわかるようにです。 12年前までは現役だっただけあり、 近代的な道路になってますね。 |
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南側は無気味な感じのカケラも無いです。 正直、向う側はちょっと無気味な雰囲気が… それゆえに、廃物件としての 価値が出るんだけどね。 あれはかなりイイよ (≧▽≦)♭ こちらも向うとまったく同じデザインです。 あれ? 2つ並んだ標識に高さ3.3mってある。 これは、2車線の場合の高さ制限でしょうか? 上の写真にもセンターラインがありますしね。 それと、右側の四角い看板には 「きけん ときだ小PTA」とあります。 |
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ポータルの縞模様とアーチの様子です。 縞模様は型枠で場所打ちしたものみたいです。 ちなみに、この方向に 昔の熊野街道の女鬼峠があります。 荒れてたそうですが、 今は整備され、自転車でも行けるそうな。 (と言っても、乗っては無理だろうけど…) |
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で、隧道と同じくらい気になったのがこれ。 崖の岩の模様がすごい事になってます。 まるで流れる溶岩が固まったように見える。 これは何かな? って調べてみたら 「黒色片岩」という変成岩で、 「千枚岩」とも言われます。 表面がてらてら光ってるのは、雲母だそうです。 って、この写真じゃそこまで見えませんね。 女鬼隧道が昔素堀りだったという事は、 かつては隧道の中の壁も、 こんな岩肌だったんだ。 さぞや野性味あふれる景色だった事でしょう。 |
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さて、先程からみなさん気になってる 南側のとじた扉です。 鉄の棒でがっちりロックされてます。 これは、縦型の“かんぬき”ですね。 鉄の棒を抜き取らないと開かない仕組みです。 これじゃあ、中からは絶対開けませんね。 ・・・体当たりしたら開くかと思ったけど… いやいや、そんな事本当にしませんよ。 何といっても、私はか弱いですから。 |
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扉の下には換気用のスリットまであります。 上の方の、中からの写真に写ってるけど、 内側から補強がしてあります。 なので外から壊して入る事は出来ません。 念のいったコトですね。 中の湿度が高いので、 このスリットで換気してるのでしょう。 側溝からは水が流れてきます。 [2008年1月現在] |
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県道119号線(松阪度会線)は昭和7年頃から整備され、女鬼隧道は昭和9年に開通しました。 それまでは、伊勢から熊野に向う「熊野街道(西国道)」が通っていました。 隧道の上には、伊勢から来て初めての難所でもあった、女鬼峠があります。 如意輪観音の石像や、ここを越えた荷車の轍が今も残っていて、往時を偲ばせます。 江戸時代(1833年)に書かれた伊勢の地誌『勢陽五鈴遺響』には、 「ネギ峠」の記述があるそうです。 嘉永二年(1849年)の『西国三十三所名所図会』には「メツキ峠上下二十町ばかり平山にして 嶮岨ならず然れども往来少なく道すじさみし」とあります。 また、多気町のホームページには、「袮(ね)き峠」と言われていたともありました。 「ねき」「メツキ」が「めき」に転訛し、「女鬼」の字があてられたのでしょう。 かつて「ここは人を食べる鬼が住んでいた」と言われていたのも、 「鬼」の字に関係あるのかもしれません。 黄泉の国・熊野へ向う街道の峠には、なんて相応しい名前なんでしょうか。 ● 女鬼峠は、紀州藩時代に拡幅のため、千枚岩と言われる岩盤を削った跡が残っていますが、 女鬼隧道周辺の地質を調べていたら、面白い事がわかりました。 隧道の北側に日本最大の断層、「中央構造線」が通っていたのです。 ちょうど伊勢自動車道の勢和多気インターから、五桂池にかけて断層が走っており、 断層を境に北側が「領家帯」、女鬼隧道のある南側が「三波川帯」に分かれています。 「三波川帯」の岩石は、ジュラ紀に海洋プレートから剥ぎ取られた物が、 白亜紀に地下15〜30kmの低温高圧下で変成岩になった物です。 それらは板を重ねたような「結晶片岩」と言われる変成岩で、 泥岩が変成作用を受けたのが黒色片岩です。 ■ |
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