【国道41号線-門原廃隧道】
中部地方を南北に貫く、国道41号線の傍らにひっそりと在る素堀隧道。 名も知らない隧道はいつから存在したのか? 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント |
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まだまだこんな面白い隧道があるなんて。 |
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本日の道活動のために、 国道41号線を走っていた時、ふと視界の隅に… あれ?今のって穴開いてなかった? いやそれって隧道じゃない? とりあえず確認するために、 パーキングスペースに緊急停車します。 で、目にした光景がこれ。 明らかに廃道の景色ですね。 ガードレールとコンクリートの障害物で 完全にシャットアウトされています。 でも人の出入りまでは止められないよね。 さっそく行ってみましょう。 |
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やっぱりありました。廃隧道。 |
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ふり返って見た所。 路肩はコンクリートでガードされています。 この規格はやはり国道のものでしょうか? 現道は廃道のある部分を橋でパスして行きます。 それと、気を付けて下さい。 路肩が崩れている所があります。 落ちたら飛騨川へまっ逆さまです。 おもわぬトラップにちょっとビックリ。 |
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これが隧道のお姿です。 なんか予想以上の、上物物件ですね。 素堀の隧道が、天然の洞窟のように ぽっかり口を開けています。 場所的に見て国道41号線の旧道って事になるけど 本当にこれ、元国道なの? 鉄道トンネルみたいにも見えますが、 JR高山本線はここよりもっと東側を走ってます。 路面の幅は約4mありますので、 1.5車線ぐらいでしょうか。 現代の感覚からすれば、狭いですが 通りかかるのは乗り合いバスか、 小さなトラックぐらいしかなかった昔なら、 これでも充分だったのでしょう。 |
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やっぱりすごい素堀隧道。 なんて荒々しい掘り跡なんでしょう。 この辺りは濃飛流紋岩という凝灰岩で出来ていて、 なかなか硬い岩盤です。 地層が傾いてるので、隧道自体傾いちゃってます。 坑門の形もゆがんでいるのがわかります。 それにしてもよくぞこんな所に掘ったもんです。 硬いのにねぇ… 隧道の中をよく見てみると、何かが壁面に。 照明?いえ、木です。 木材が壁にくっつけてあります。 写真には写っていませんが、 下から2mぐらいの左右の壁に、 金具で固定してあります。 |
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一体、何の設備なんでしょう。 現在は数本しか残っていません。 でも落ちてきそうで、ちょっと恐かったりして… 50mぐらいの長さでしたが、 舗装はされてないみたいでした。 っていうか、路面は細かい石だらけで よくわかりません。 さて、もう出口です。 向こう側に見えるガードレールが現道です。 実はこんなに近くにあります。 なんか入って来た方と比べると、 さっぱりした風景。 |
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こっち側には札が下がってます。 「トンネル内は落石の危険につき 這入らないようにお願いします」って書いてます。 ↑這い入る? ほふく前進しながら入るの禁止ってこと? 「入らない」と言いたいんでしょう。 手書きなのに誤変換。い、が一つ余計です。 反対側には無かったけど、 向こうは荒れ放題なので入れないと思ったのね。 ここで見ると岩盤の傾きがよくわかります。 |
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現道レベルから廃隧道を見下ろしてみました。 こんな所にも石仏がいます。 はでな花がお供えしてあります。 …造花でした。 長持ちはしますね。 |
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「建設省」の石柱がありました。 ってことは建設省が造った隧道ですね。 やっぱり国道の旧道でいいみたいです。 そんなに古い物には見えないけど、 実際はどうなんでしょうか? そのうち落ち葉に埋もれそうです。 |
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旧道は道路に遮られて途切れています。 その手前にもう一つ チェーンで侵入が禁止されています。 木製の階段で出入りできますが、 その先にも道が続いているのが見えます。 ひょっとして国道の旧道ですか? それにしても、現道からまる見えの所にあるのに 今迄気付かなかったのが不思議です。 もしかして、国道が整備されたとかで この付近がすっきりしたのが原因なのかも。 けっこうな発見になりました。 [2004年11月現在] |
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なんともびっくりな発見でした。一見鉄道トンネルみたいに見えます。 ■ いつ、何の目的で掘られたのかわからない隧道です。レポート公開後にも郷土史などを調べてみたりしましたが、 これといって収穫はありませんでした。しかし、意外な所にその答えが。 現地にこの隧道を解説した看板が、新たに立ててありました。 それによると、国道41号線の前身である飛騨街道の時代には、崖を1.5m程削り取った狭い道で、 ここは転落事故の絶えない、飛騨街道一の難所だったと言います。 そこで隧道を造り、安全に通行出来るようにしたのですが、 削岩機が使えず、手堀りで2年もの歳月を費やして、大正6年(1916年)にやっと完成したものです。 延長47m、高さ幅共に4.5m。岐阜県で最初に造られた道路隧道だそうです。 その時隧道掘削にあたったのが、岐阜市上芥見の篠田電機の篠田義彦・敏司兄弟でした。 この解説の看板は「中原ふるさと研究会」「門原トンネル保存会」によるものです。 ■ |
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