【愛知県新城市-旧・黄柳橋】
愛知県新城市を流れる黄柳川に架かる、大正7年に完成したコンクリートアーチ橋。
当時最大スパンを誇っていました。読みは「つげはし」です。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 この橋は県道の旧道なのかな?
 今では歩行者用の橋として、
 大切に保存されてます。
 写真でしか見た事なかったけど、
 なかなかに個性的な姿をしてます。

 橋はここにあるよ♪→■周辺図■

 大正時代の橋だけあって、
 ちょっと狭い橋です。
 左側には現・黄柳橋と、
 「登録有形文化財」のプレートが
 はめ込まれた、御影石の石柱があります。
 そんなに貴重なモノなの?
 ここからじゃ、そんな風に見えないけど。
 それと旧・
黄柳橋の詳しい解説もあった。

 
 でも、親柱は立派なものです。
 立派だけど、なんだかきれい。
 造り直されたの?
 ・・・そんなにきれいでもないか。

 
 では、渡ってみましょう。
 大正時代の橋にしては、
 高欄がきれい。
 昭和初期の橋でさえボロボロなのに
 やっぱり修復されてる?
 で、その高欄ですが、
 コンクリートでがっちり造られてる。
 まあ、いかにも古い橋って景色ですね。
 
 
 渡りきりました。
 あらためて見ると、けっこう狭いですね。
 これで幅が3.6mだそうです。
 大正時代はこれでOKだったのでしょう。
 今の交通量じゃ無理。
 
 橋の上を見ても
 たいして面白くないので、
 横から全体を見てみましょう。
 なるほど、こりゃ変わってる。
 アーチと路面がすごい離れてるね。
 さっき見た解説板によると、
 アーチがこれ以上長くできないために、
 こんなに離れちゃったそうな。
 でも、これでも
 当時最大のアーチだったそうですよ。
 
 今じゃありえないこの支柱の高さ。
 しかも昔の木造の橋みたいな形で、
 さすが大正のアーチ橋ですね。
 アーチ部分も苔むしていて、
 いい雰囲気です。
 これが当時最大のアーチ。
 最大と言っても30mばかり。
 大正時代の土木技術では、
 この30mが限界だった訳です。
 

 今度は河原から見てみましょう。
 現と旧のダブルアーチ!
 手前が現道のアーチ橋ですが、
 最新土木技術では長いアーチも簡単。
 アーチと路面の差はありません。
 旧橋と同じようなアーチ橋なのは、
 景観に配慮して
 旧橋と同じコンクリートアーチ橋に
 したそうです。

 
 こうやって見上げると、
 高い所に架かってるんだなぁ。
 木橋が空中に浮いてるようにも見えます。

 大正時代には、
 おらが村には日本一の橋があると
 自慢のタネだったことでしょう。

[2008年7月現在]


旧・黄柳橋は大正7年(1918年)黄柳川に架設された、鉄筋コンクリートの開腹アーチ橋です。
それまでは木橋のアーチ橋が架かっていましたが、
県の土木技師・吉田仙之丞の陣頭指揮のもと、当時の最先端技術を駆使して建設されました。
スペックは橋長51.2m、幅3.6mで、アーチスパン30mは当時全国一でしたが、
昭和2年、東京の聖橋(スパン32m)の完成により、第一位の座を譲る事になりました。
旧・黄柳橋は30mのアーチで50mを超える橋を造ったため、
路面とアーチが大きく離れてしまいました。
路面を支える支柱は強度や耐震性を考慮して、井桁状になっております。
この特異な姿が、大正時代の鉄筋コンクリートアーチ橋の黎明期における
時代性を色濃く反映されるものとして、平成10年9月に土木構造物として県下で初めて
登録文化財として登録されました。
交通量の増加と老巧化のため、下流側に新橋が建設され、旧・黄柳橋は歩道橋として活用し
後世に残される事となりました。

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