【滋賀県・県道265号線-谷坂隧道 周辺図】
滋賀県浅井町の山越えの県道には、素晴らしいデザインの隧道があります。
このページには、周辺図と 谷坂隧道を設計した「村田 鶴」についての、役に立たない考察があります。


数々の素晴らしい隧道を残していった「村田鶴」。
「谷坂隧道」「湖北隧道」「横山隧道」などを造った人物なのですが、どこの誰かは不明だそうです。
これ程の仕事をしたのに記録に残らないなんて、まったくもって不可解な事です。
そんな謎の人物の村田鶴でしたが、かの旧道倶楽部の主催者にして、数々の廃道本を著したnagajis氏が村田鶴の経歴を明らかにしました。
それによると、明治17年に茨城県に生まれ、埼玉県の土木課を経て、大正7年に滋賀県の土木課に就任したそうです。
以来昭和11年まで滋賀県で土木技師として活躍しました。退職後は千葉県に居を移したといいます。
ヨッキれん氏との共著「廃道本」には詳しく書いてありますが、さすがnagajis氏、よく調べてあります。

ただ、村田鶴の経歴は明らかになりましたが、隧道のデザインや技術面などの、仕事の内容までは分からないようです。
そこで考えたのが、何かの影響を受けたのではないかという事です。
以前このページで『村田 鶴はヴォーリズの影響を受けたのでは?』という説を掲げてましたが、あながち間違いでは無いかもしれません。
ヴォーリズとは滋賀県を中心に活躍した、アメリカ出身の建築家です。メンソレータムの輸入販売する会社を作った人でもあります。
ヴォーリズの仕事は建築だけでなく、大正7年の結核療養所「近江療養院」の開設や、キリスト教の伝道師としての活躍、学校の設立など、幅広く社会に貢献してきました。
当時はヴォーリズのおかげで、近江八幡ひいては滋賀県は、洋風建築で有名だった事が想像出来ます。
郷土の著名な物を、隧道のデザインに取り込む事は、近年よく見られる手法ですが、古来日本には、ある物を本来とは違う用途に使う「見立て」という文化があります。村田鶴がヴォーリズの建築作品に影響を受けて、一連の木造の洋風建築の壁や玄関をポータルに見立てた、「下見板張り風」隧道を造った事は充分ありえます。
とは言え、素晴らしい隧道を数多く造った人物でも、単なる土木技術者では、人物像が分かるような記録は残ってないのでしょう。
しかし、彼の造った隧道達が、今でも村田鶴の人となりを雄弁に語っている様ではありませんか。

ちなみに、ヴォーリズの建築と言えば、滋賀県の豊郷小学校が「けいおん!」の桜が丘女子高等学校のモデルとなった事で知られています。


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