【国道19号線旧々道?-菅橋】
長野県は木祖村を通る国道19号線の旧々道には、古いコンクリートアーチ橋が残されています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 偶然見付けた橋、パートいくつ?
 ちらっと見ただけでも
 ただ者じゃない雰囲気が漂ってます。
 しかも国道の旧道っぽい道もあるし、
 さっそく調査調査。

 まずは地図で位置を確認→■周辺図■

 木祖村の南の端っこにある、
 国道19号線脇につながる旧道から
 レポートを始めましょう。
 ガードレールで塞がれてる所といい、
 かすれたセンターラインといい、
 申し分ない廃道の景色です。
 しかも、よく見るとセンターラインが
 途中でずれてるよ。
 
 こういうのって
 もはや見慣れた景色ですね。
 落石・落ち葉・雑草。
 う〜ん、そそるなぁ( ̄▽ ̄)
 でも、ちょっと気になるモノが…
 な〜んか道路にいっぱい
 落ちてるモノがあるんだけど…
 これは・・・
 動物のうんこ?
 踏むのはとってもイヤなので
 気を付けて歩きましょう。
 
 あっっ!
 キロポストだ!
 もう、間違い無く国道の旧道ですね。
 まだ残ってるなんて、
 ちょっと珍しいかも?
 「9」は9kmのこと?
 
 さらに歩いて来ると
 現道の直前に橋の跡がありました。
 これも旧道?
 どうも、旧道に繋がっていた、
 町道とか村道とか、そんな感じの道みたいです。
 周辺図を見てもらえばわかりますが、
 この辺は道が入り組んでます。
 

 さて、旧道探索はこれくらいにして、
 かんじんの旧々道橋の方に行きましょう。
 再びスタート地点に戻って来ました。
 真ん中にあるのが旧々道橋の「菅橋」。
 周りの風景から、見事に浮いてます。
 造られたのは昭和か大正か?
 ご覧の通り、すでに廃橋梁と化しております。

 ちなみに、上の写真の橋が架かっていた道が
 左の写真の現道の下を通ってる道になります。

 
 これは旧道から見た「菅橋」です。
 だ円をしたアーチが特徴的な
 充腹アーチ橋。
 特徴的と言えば、
 四隅の大きな親柱も見逃せません。
 この写真の中には4本の橋が写ってますが、
 現道のすぐ下の2本の橋は
 中央本線の物です。

 で、どこから菅橋に行こう。
 旧道からは高低差がありすぎて、
 とても行けません。
 

 やっぱりこの道からしか行けないかな。
 と、思っていたら、下に降りる階段を発見。
 柵があったけどこっそりと…
 まあそれはいいとして、
 なんですかこの階段は?
 そこらじゅうに動物のうんこだらけですよ。
 こんな場所にできるのって猿しかいませんね。
 猿のトイレかここは。
 避けて歩くのが大変。
 さて、中央本線の橋が見えますが、
 手前の橋の方が古いようです。
 複線化された時に、
 もう1本橋が追加されたのでしょう。

 
 ようやく側まで来ました。
 実にいい姿です!
 堂々たる親柱もGOOD
 でも、橋の手前の路面の下の地面が
 崩れてます。
 川が氾濫した時に削られたんでしょうか?
 
 では、渡ってみましょう。
 なんか威厳すら感じる姿ですね。
 こんな人里離れた所には
 似つかわしくないかも?
 奥に見える高い所を通ってるのが
 先程の国道19号線の旧道です。
 完全に分断されてます。
 この橋、完全に捨てられた訳ですね。
 でもこんなきれいな状態で残ってるのは、
 保存されてるからでしょうか?
 
 親柱は近くで見ると
 なんとも複雑な形をしてます。
 「昭和八年十月竣工」
 昭和時代の建設でしたね。
 昭和8年といえば、
 日本やドイツが国連を脱退したり、
 ヒットラーがドイツ首相になったりという
 キナ臭い時代です。
 それとアールデコ様式が全盛の時代も
 この辺りでしたね。
 この橋のデザインも
 アールデコの影響を受けてるみたいです。
 
 保存されてる?
 ボロボロですね。
 こちらは「菅橋」
 橋の大きさに似合わぬ大きな文字です。
 この橋の重要さを表してるようです。
 
 橋を渡った先には、
 ちょっとした広場が。
 ここが国道19号線の旧々道の
 残骸のようです。
 向って左側には、少し道が残ってますが、
 薮に埋もれてます。
 
 右側はコンクリートの壁で、
 痕跡はまったくありません。
 完全な行き止り状態。
 廃道の風情満点ですね。
 で、行き止まり地点から見ると
 こんな感じ。
 
 最後にアーチの橋台部分を見てみましょう。
 アーチ橋の場合は、アーチの端の部分が
 橋台らしいです。
 それにアーチの真ん中の所にある
 五角形の物は、要石みたい。
 ま、デザインだけの物だろうけど。

[2006年4月現在]

「菅橋」が国道19号線の旧々道と書いていますが、
この橋自体が国道の旧々道なのか、旧々道に繋がっているだけなのかは、
資料などを調べてないので詳しくわかりません。
しかし、これだけ手間の掛かった橋なので、国道の旧々道なのは間違い無いでしょう…

国道の旧々道かと思っていましたが、この橋の近くに住んでいた人から
菅橋に関する情報をもらいました。
それによると、菅橋は国道19号線の旧々道ではなくて、村道菅線の旧々道だそうです。
それと、橋台だけになった橋の跡にはかつて、旧村道菅線のコンクリート桁の橋があり、
17年程前にダンプカーの重みで真っ二つに折れてしまったそうです。
後に鉄筋コンクリートの仮橋が架けられましたが、村道が現在の位置に付け替えられた時に
役目を終えたそうです。その時に撤去されたのでしょうか?
現・国道19号線はそのすぐ後に開通したといいます。
菅橋が村道だったと言う事は、国道の旧道の下に、旧々村道が埋っているのでしょう。

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