【国道163号線-旧・長野隧道】
三重県の津市と伊賀市の間にある「長野峠」をくぐる明治の隧道、旧「長野隧道」。
現役トンネルの上に存在するという旧隧道に、はたして辿り着く事は出来たのでしょうか?
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 ふとした事から見付けてしまいました。
 まさかこんな所に
 こんな、すんごい廃隧道があったなんて!
 これは行ってみなくては。
 ただちに行かねば。

 これよコレ→■周辺図■

 今回は高速道路を使いました。
 (あんまし早起きしたくなかったし…)
 伊勢自動車道の津インターを下りて、
 国道163号線を西に走ると、長野峠に到着。
 1月なので寒いです。
 今日は晴れるって予報されてたのに、
 小雪が舞ってます。
 隧道西側にある駐車スペースに
 バイクを置いて探索開始です。

 さあ、ここが隧道手前の広場です。
 なんか石碑が並んでますが?

 自然石の上に乗せられた変な石碑が?
 実はコレ、旧・長野隧道の扁額なんです。
 記念に飾ってあるんでしょうか?
 すごく達筆な文字ですが
 かの旧道倶楽部によると
 「其功以裕」と書いてあるそうです。
 なんて意味だろう?

 少し離れてもうひとつ石碑があります。
 こちらは「隧道改修記念碑」です。
 さて…と、旧隧道はどこかな?
 見えませんね。
 この記念碑の後ろから入ると、
 かの旧道倶楽部にありましたが、
 斜面を上がって行くのかな?
 10mぐらい上がったところで、
 間違えた事に気付いて進路変更。
 現・長野隧道の上あたりを目指して
 斜面を横断すると、
 人が歩ける程のスペースを発見。
 
 現道の横の斜面のふちが
 ちょうど歩けます。
 こんなふうに。
 ―って何これは???
 緑のネットで通路が出来てる。
 林業関係の作業でもしてるの?
 あ。
 まさか、この先で工事でもしてるのかな?
 まあ、取り敢えず
 通らせてもらいましょうか。
 

 こんな所に出ました。
 現・長野隧道の真上?
 14〜5mぐらいかしら?
 けっこう高いですねぇ。

 そして、後ろには・・・

 
 旧・長野隧道のお姿が!
 え? ネットが邪魔だって?
 これはわざとネットも写してます。
 どういう訳か、ネットが3重に張ってあります。
 …なぞですね。
 手前の溝には水が流れているけど、
 これは隧道内からの水だろうか?

 では、ネットを越えて
 隧道に近付いてみましょう。
 

 明治18年6月15日に竣工。
 総石造りで、全て人力だけで
 4年以上もかけて造られたといいます。
 すごいですね。
 それにこの迫石のデザイン!
 放射状のラインが見所になってます。
 まるで、太陽みたいだ。
 太陽と言えば、隧道の正面の先には
 伊勢神宮があります。
 伊勢神宮には太陽神アマテラスが祀られてるし、
 もしかしてこれは
 “天の岩戸”がモチーフになってるのかも?

 
 やっぱりコンセプトありきで
 デザインされたんでしょう。
 わざわざ手間の掛かる形にしてますし。
 迫石のアーチがちょっと歪んでるのも、
 手作りらしさがあってイイですね。
 扁額が抜き取られた所がポッカリ空いてます。
 …頭の上が吹っ飛んだみたいだ…
 肝心な隧道本体が山の中に放置中なのに
 扁額が大事に展示されてるのって、
 三重県令とか元老院議官なんて
 お偉いさんが字を書いたからでしょうか。
 なんか、保存の方向が間違ってない?
 
  廃隧道が目の前にあれば
 入らない訳にはいきません。
 ああ、やっぱり水がありますね。
 でも大丈夫。真ん中を歩けます。

 それにしても、積まれた石がきれいです。
 長細い石がピシッと並んでます。
 
 振り返って外を見るとこんな感じ。
 崖が崩れてるけど、
 石垣とかなかったのでしょうか?
 現道の長野隧道が昭和16年開通なので、
 そうとう長いこと放置されてたんですね。
 横から生えている木も
 かなり太いですし。
 
 この隧道は200m程だそうですが、
 反対側は埋まってるそうです。
 向う側の光は見えません。
 と、いうことはこの先に
 閉塞点があるんだ( ̄▽ ̄)

 ここは中間あたりだったかな。
 なんか…石積みが雑になってる。
 きれいに造ってあったのって
 最初の方だけ??

 壁が白いのは、何かの成分だろうか?
 
 この辺りまで来ると
 暖かくなってきました。
 っていうか、外が寒すぎなんですがね。
 トンネルの中は温度が一定だって言いますし、
 夏に来れば逆に涼しいわけだ。
 おや? これは何?
 ちょっと見にくいけど、
 壁の一部にくぼみがあります。
 もしかして鉄道のトンネルでお馴染みの
 “待避抗”ってやつですか?
 こんな待避抗があるのが、
 三重県の古い隧道の特徴なのかな?
 
 ライトの光の中に黒い固まりが見えたら、
 閉塞点に到着です。
 いっぱい石が散乱してます。
 撮影した写真を補正して、
 中の様子がよくわかるようにしたら
 とんでもない事態が判明しました。
 右側の石積みの列が下にずれてる・・・!
 これが… 崩落の原因でしょうか?
 大量の土砂が流れ込んで来てます。

 しかし、左側に大きな隙間が・・・
 
 この隙間から向こうが見えるかも。
 土砂を上がってみたけど、
 これはせますぎです。
 それに、壁の石の表面がでこぼこです。
 よく見ると、粗い石を並べたというより、
 表面が剥がれたみたいです。
 風化だろうか?
 これって材料の選択ミスなの?
 ここの山も地盤が弱そうなので、
 伊勢神隧道のように
 煉瓦が使えなかったんでしょうか?
 
 もうこれ以上はムリ。
 これが土砂が流れ込んできた穴です。
 穴と言うか、
 たぶん大きな亀裂になってるんでしょう。
 今はこの土砂が隧道の壁を支えてるけど、
 いつ他の部分も崩れるかわからない
 危険地帯です。
 いやマジで。
 ここらで撤収。
 今度は反対側だ(≧▽≦)

 現・長野隧道を通り伊賀市側に来ました。
 こちら側にも駐車スペースがあり
 「道路開鑿紀念碑」という
 石碑があります。

 さて、これが旧道の西側入口です。
 左の森の中に入って行く
 斜の道がわかりますか?
 車道にしてはちょっと急だけど、
 50m程でゆるやかな道になります。
 
 道が平坦になり、森の切れ目から下を見ると
 現道があんなに下の方に!
 うわ・・・高〜い・・・
 ガードレールなんか無くて
 切り株が道端に置いてあるだけです。
 ここは気を付けねば。
 思わぬ危険地帯にどっきどき。
 
 砂防ダムを1つ過ぎて
 鉄製の橋を渡ると、もうひとつ橋があります。
 その橋から左を見ると・・・
 
 なかば埋もれた砂防ダムの向うに
 長細い広場があり、
 さらに広場の奥には石が積まれた
 隧道のポータルが見えます。
 つまりこの広場は、
 山から流れ込んで来た土砂が
 旧道上にたまったものだったのです。
 なんか… 向こう側以上に廃な景色だ。
 
 たまった土砂の上を歩いて来ました。
 けっこうしっかりした地面です。

 見えますねぇ…
 谷の奥に隧道のポータルが…

 こちらも頭が吹っ飛んでます。
 でも、このアーチの迫石は
 普通のデザインですね。
 どこでも見掛けるアーチです。
 それなのに、すごい手抜きに見えるのって、
 反対側のアーチが凄すぎるからですね。
 向こうが凄いのは
 やっぱ伊勢神宮が正面にあるから?
 っていうか、県庁所在地・津市があるからかも?
 まあ、なんにしても
 向う側が表側なんでしょう。
 (本当か??)
 
 隧道のかたわらには
 こんな石組みがあります。
 水を流す“とい”ですね。
 旧道に何ケ所も砂防ダムがあったし、
 そんなに水が出る山なのかな?

 ここだけ見ると小さいようだけど、
 土砂に埋もれた所も合わせると
 結構な高さがありますね。
 
 ポータルは「花崗岩」で出来てるみたい。
 大きな石英の固まりも落ちてたので、
 山のどこかに「ペグマタイト」があるかも?

 さて、隙間があるけど小さすぎて
 私でも入れません。
 なのでカメラだけ突っ込んで撮影。
 お〜 見事に詰まってる。
 ここの裏側が
 さっきの閉塞点の闇の向う側なんでしょう。
 あれ?コンクリートで補修されてる??
 
 隧道の前から砂防ダムを見ると
 こんな感じです。
 土砂で埋まる前は、
 深い谷の下を道が通っていたのでしょう。

 今となっては、
 道の面影はすっかり無くなってます。

[2008年1月現在]

旧・長野隧道は伊賀街道の長野峠を越えるために、明治18年6月15日に開通した総石造りの隧道です。
全長200m余り、幅4m、高さ3.8mのサイズで、工事は人力のみで行われ、
4年7ヶ月の期間と総工費10万5776円を掛けて完成しました。
しかし、歩行者や荷馬車ぐらいしか通れ無い隧道では、発達していく交通事情には対応できず、
隧道の真下に新隧道が建設され、昭和16年に完成しました。
現在、3番目のトンネルが掘られていますが、トンネルとバイパスが開通すれば、
この長野峠を通る現・長野隧道も旧道となってしまうのでしょう。

3番目の 「新長野トンネル」は、2008年7月12日に開通しました。
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