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【岐阜県-北恵那鉄道-廃鉄橋 中津川市街周辺図】
大井ダム建設に伴い開通した「北恵那鉄道」。 ここではその歴史と、廃線跡のレポートの周辺図をご覧ください。 |
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福沢桃介が社長を勤める大同電力が、恵那峡に日本最初のダム式発電所の大井ダムを建設しました。 福沢桃介とは、日本の電力王とも言われ、かの福沢諭吉の養子でもあります。 大井ダムは高さ50mを超える重力式ダムで、「日本の近代土木遺産」にも選定されています。 木曽地方では、木曽檜などの木材を、いかだを使って運んでいました。 それが木曽川に大井ダムが出来たために不可能になり、その代替輸送機間として建設されたのが「北恵那鉄道」です。 大正13年(1924年)8月5日、中津町から下付知まで、22.1kmの電化路線が開通しました。 この「北恵那鉄道」の初代社長が、あの福沢桃介です。 戦後は輸送量も伸びて、北恵那鉄道の黄金期とも言える好調な時代でした。 1959年に中部地方を襲った伊勢湾台風と、その後の集中豪雨のために、木曽川橋梁が危険な状態となった事で、 橋自体を4mほどかさ上げする工事が行われました。 その工事を契機に、名古屋鉄道が資本参加し、以後北恵那鉄道は名鉄グループの一員として、 近代化・合理化を進めて行きました。 しかしモータリゼーションのあおりを受け、鉄道の輸送量は旅客・貨物ともに減少していき、 1977年に鉄道部門の赤字が1億円を超えた事と、地方鉄道整備補助金が打ち切られた事により、 1978年9月18日に北恵那鉄道は廃止されました。 ■ |