【岐阜県・関ヶ原-旧陸軍火薬庫隧道】
天下分け目の関ヶ原には、東洋で最大級の火薬庫がありました。
戦争が終わった今なお、その施設は関ヶ原の地に残り、戦いの記憶を後世に伝えています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 ネット上で見付けた隧道です。
 道路でも鉄道でもない戦争遺跡ですが、
 隧道である以上
 レポートしない訳にはいきません。
 戦いのために造られた
 隧道はどんな姿なのか?

 まずは地図で位置を確認→■周辺図■

 関ヶ原と言えば東軍・徳川家康
 西軍・石田三成が天下をかけて戦った所です。
 そんな日本の歴史上重要な場所に
 旧日本陸軍の火薬庫があります。
 当時東洋一の規模だったそうです。
 現在は遊園地などの観光地が近くにあり、
 もはや東洋一の面影はありません。
 道端に点在する遺構に
 当時の姿を偲ぶ事しか出来ません。
 これはその遺構のひとつで、
 見張りの人が立っていた所です。
 立哨台(りっしょうだい)といいます。
 けっこう小さくて、中は人一人が精一杯。
 
 山の斜面には火薬庫だった洞窟が
 そこかしこに口を開けています。
 洞窟と言えばここのすぐ北側に
 関ヶ原鍾乳洞があるけど、
 ここも天然の洞窟を利用したのかしら?
 洞窟だけじゃなく、倉庫のような建物も
 沢山あったみたいだけど、
 すべて解体されてしまったようです。
 ちなみに大正3年(1914)に開設され、
 正式名は「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」
 といったそうです。
 舌かみそう。
 
 せっかくなので少し中も見てみましょう。
 やはりと言うか、中は真っ暗。
 しかも、ひや〜っと涼しいです。
 内部の壁の表面は細い鉄の板で補強され、
 他にはない独特の構造を見せてくれます。
 中央の大きな部屋の左右にも廊下の様な
 狭い部屋がありますが、
 これは万一の事故の際に、
 爆風を緩衝させるための部屋なんでしょうか?
 正体の知れない謎の部屋です。
 それにこの丸いのは、窓があった跡ですか?
 たぶん戦後に、火薬庫として使えないように
 外されたのでしょう。
 
 他にも幾つか洞窟があったけど、
 どれも同じ格好で、スペースの無駄なので
 取り敢えず、紹介は2箇所だけにしときます。
 さて、肝心の隧道です。
 隧道は上の写真の所から離れた所にあります。
 おかげですごい探しましたよ( ̄Д ̄)
 その隧道はここ、県道沿いの遊園地
 メナードランドのゲートの正面にあります。
 でも、今日は日曜日だというのに
 なんか閑散としてます。
 実はこの遊園地、一時休園中だそうです。
 いつか復活しますって看板に書いてあったけど、
 この御時世に、それは無理なんじゃ・・・
 今やすっかり廃虚状態。
 

 正面から見てもどこにあるのか
 よくわかりませんね。
 いやまあ、単に写真の写りが悪いんだけど…
 むろん真ん中の穴が目的の隧道です。
 工事用の看板がすさまじく邪魔。
 雰囲気壊しまくりだ。
 「工事中」なんて書いてあるので、
 一瞬この隧道が取り壊されてるのかと思った。
 そんな訳ないよね。
 右端の立て札は関ヶ原町が立てた物で、
 遺構の解説が書いてあります。
 それによるとここは
 万一の事故に備えて造られた「土塁」だそうです。

 
 他の火薬庫への誘爆を防ぐためでしょう。
 高さ4〜5m程の土塁が東西に延びてます。
 写真は隧道入り口のアップです。
 まさしく「入り口」。
 この向こうが先程の火薬庫群がある場所に
 繋がってます。
 と言っても、今じゃ薮に埋もれて
 行く事は出来ませんが…
 いや、本当に繋がってたのか自信はないけど…
 

 大正時代に造られた物にしては、
 モルタルが滑らかに塗られてます。
 やっぱ軍事施設だと、気合いの入り方が違う?
 でも、路面は舗装されて無いです。
 おかげで、前日の雨のためにどろどろ。

 それにしても、県道沿いにあるのに
 落書きがないなんて、奇跡的かも?
 ダメですよ。
 いいキャンバスがある、なんて思っちゃ!!
 ここは捨てられた廃虚じゃなく、
 保存されている文化遺産です。

 
 裏に来ました。
 つたとか垂れてますね。
 保存されてるけど掃除はされてない?
 やっぱり火薬庫がメインだからだろうか。
 でも、廃物件らしくていい感じ。
 あ、そういえば隧道の上に土が無い。
 向こうの空がよく見えるのが
 なんか、変な感じ。
 
 ちょっと期待外れだったかな。
 短すぎて隧道なんて言うのは
 遠慮したくなるような物でした。
 次の隧道に期待しましょう。

 先程の隧道から東に行くと、
 またひとつ、休園している施設があります。
 関ヶ原国際スケートセンター
 無秩序に植物が延びていて
 見るからに廃虚といった雰囲気です。
 この青空の下、たまに通り掛かる車以外、
 動く物はありません。
 昔はどんなに賑やかな場所だったのだろう。
 
 もうひとつの隧道はこの向こう、
 正面の森の中にあります。
 ちょうどスケートセンターの
 チケット売り場の前になります。
 あ。ここにも立哨台が。
 それに何か立て札があるけど、
 「日本武尊の腰掛台」って書いてある。
 札は隧道の方向を指してるので、
 雑草の生える広場を突っ切って行ってみました。
 でも…あれ? 行けないよ?
 看板に偽りありなの?
 しかし木々の向こうに隧道発見。
 しかも前には段差が!!
 こんな所を通れってか?
 
 どうやら県道から隧道まで、
 軽く切り通しになっていて、
 先程のルートでは行けません。
 しょうがないので戻って仕切り直しです。
 あの立て札、立ってる場所が違うよ。

 さあ、これが2番目の隧道です。
 位置的にこちらの隧道の方が
 正面玄関って感じです。
 サイズも少し大きいみたい。
 それにしても飾り気の無い姿。
 まあ、軍事施設だったので、
 それもしかたがないか…
 
 大正時代の物とは思えぬ 程の
 きれいな状態です。
 やはり民間の道路隧道なんかとは、
 気合いの入り方が違うって事ですね。
 こういうのって「ミルスペック」って言うの?
 いや、それはアメリカのものか・・・
 やはり厳しい規格があるのでしょう。
 
 中はここも未舗装です。
 泥でどろどろ。
 当時は舗装されてたのでしょうか?
 今となっては、ちょっとわかりませんね。
 なぜかすみっこには瓦が置いてある。
 それに路面にはタイヤの跡がありました。
 こんな所に車が来たの?
 この先の道は左にカーブしてます。
 いったい何があるのでしょう。
 
 その前に中の様子をもう少し
 レポートしときましょう。

 壁には剥がれた所がありました。
 コンクリートの上から
 モルタルを薄く塗ってあるのがよくわかります。
 実に丁寧な仕事です。
 これを見ていて気付いたのだけど、
 型枠の跡が縦縞になってる。
 一般的な隧道の壁は横縞になってるけど、
 ここは縦に板を並べたようです。
 
 未舗装だと思ったら、こんな所に
 コンクリートの部分がありました。
 床? いえ違うみたいです。
 下に空洞があります。
 どうやらこれは側溝のようです。
 そういえば外にも水路があったけど、
 あそこに繋がってるのでしょう。
 雨降りの後なので、水が勢いよく流れてた。
 
 反対側は日陰になるので、
 ちょっと薄暗いです。
 こうやって見ると隧道らしく見えます。
 ここにはちゃんと、土塁が残っていて
 当時の姿のままですね。
 じゃあ、あのドラムカンも大戦中の物?
 なワケないか・・・
 で、こちらは陽当たり不良なので
 ポータルは苔だのかびだので黒ずんでます。
 こんな雰囲気の方が歴史を感じられていいかも?
 
 隧道の先は火薬庫に向う道でしょうか?
 石垣が、カーブの外側を縁取ってます。
 この先は薮に埋もれていて、
 道筋ははっきりしてません。
 一応たどってみましたが、
 100m程で進行不能となります。
 でも、根性があれば行けるかもです。
 あ、そう言えばさっき見た
 「日本武尊の腰掛台」ですけど、
 この先にありましたよ。
 石碑とそれらしい岩が、半ば埋もれてた。
 とてもじゃないが、観光客がふらっと来れる
 場所じゃなかった。特に薮がね…
[2005年11月現在]

ほんの数年前までは、ここは賑やかな観光地だったのでしょう。
遊園地やスケート場は休園となり、いつか復活する日を夢みて静かに眠ってます。
しかし、もはや時代に取り残されたものは、日の目を見る事はないでしょう。
役目を全うした戦争遺跡と、望みを持ちつつ、廃虚化しつつある遊園地。
はからずも2つの廃物件が、同時に存在する事になったのですが、
遊園地の方に、より心を動かされるのは、そこに果たされない望みがあるからでしょうか?
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