【愛知県・県道15号線-鹿乗橋】
愛知県春日井市の庄内川に架かる「鹿乗(かのり)橋」。
明治43年に完成した鋼アーチ橋でした。しかし今は、コンクリート橋に生まれ変わっています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 昔は優美な姿をしていた「鹿乗橋」。
 観光名所としても、
 メジャーな存在だったそうです。
 今は・・・
 ちょっと寂れた場所になってます。
 そんな橋を、上から下から
 じっくりと見て来ました。

 かつての観光名所はここに→■周辺図■

 春日井市の高蔵寺方面 から
 県道205号線を東に走ると在るのが、
 明治43年3月に出来た
 鉄のアーチ橋「鹿乗橋」。
 「メラン式」と言われる形式だそうな。
 今はコンクリートで固めた、
 ちょっと不粋な姿になってます。
 とは言えこの欄干、味のあるデザインです。
 橋の真ん中の左右に張り出したテラス?が
 ちょっとステキな感じです。
 電球は点くのかな?
 真ん中から向こうは瀬戸市。
 
 河原に降りて来ました。
 やっぱり橋は横から見てみないとね。
 ごろごろとある岩は硬いチャート
 観光地だっただけあって
 なかなかにイイ景色。

 全長72m、幅3mのサイズで、
 工事費1万161円38銭だそうです。
 1万円ぐらいなら私でも出せるよ。
 っていうか、今と物価が違うって。
 
 どこから降りて来たかと言えば、ここから。
 よくわからない?
 詳しくはまた後でね。

 それで「鹿乗(かのり)」ってどういう意味?
 何でもこの橋より南にある東谷山の神様が
 白鹿に乗って川を渡ったからだそうです。
 なる程、鹿に乗ったからなのね って思ったら
 もうひとつ違う話があった。
 ここより西側の「高蔵寺」の本尊の薬師如来像は
 白鹿に乗って出現したと言われてるんだって。
 この付近は「鹿乗ガ渕」という所ですが、
 そんな由来があったのですね。
 
 ちょっと順序は前後するけど、
 橋の横の階段を降りて来ると
 橋の裏側に行けます。
 ここからなら河原まで行く事も可能です。

 この橋は昭和26年に強度の落ちたアーチを
 コンクリートで固めたのですが、
 その際に取り付けられた銘板が、
 写真の真ん中、
 赤いパイプの向こうに見えます。
 
 昔の写真を見ると、
 優美な鋼鉄製のアーチ橋なのですが、
 本当にこのコンクリの中に
 鋼鉄のアーチがあるの?
 もしかしてアーチ以外は全て
 作り直したんだろうか?
 どうなんだろうか?
 どうせなら、コンクリートで固めたりせずに、
 同じデザインのアーチ橋を造ればよかったのに。
 古い鋼鉄アーチ橋は、
 鉄筋がわりにされたって訳ですね。
 
 橋の真下から。
 鋼鉄のアーチならよかったのに。
 ちょっと重い感じ。

 この周辺には、観光地だった頃の
 名残りがあるけど、
 今でもやってるのはラブホテルってのが
 何とも皮肉。
 橋のたもとには、料理屋と思われる
 廃墟があります。
 昔と今とじゃ、
 観光地に対するニーズが違うので、
 廃れる観光地があるのも
 しょうがないのでしょう。
 
 アーチの根元も見てみましょう。
 チャートの硬い岩盤にどっかり
 くっついてます。
 “チャート ”とはすごく小さい放散虫と言う
 生物の化石が海底に積もって出来た、
 硬い岩石の事です。
 
 この橋脚はかつては石造りだったそうだけど、
 アーチと共にコンクリートに
 埋められてしまったようです。
 これはあれですか?
 昭和26年当時はこんな物が
 近代的な物として好まれたのでしょうか?
 ・・・ちょっと余計な事してるって
 思っちゃいますよ。
 
 1枚目に写ってた場所を下からも見てみた。
 橋脚の上に立ってる支柱も
 中に古い鋼鉄の部品が入ってるのかな?
 まあ、これはこれでいい景色だ。
 コンクリートの曲線が色っぽい?
 ・・・何て感想だ・・・( ̄ω ̄)
 
 昔の鋼鉄のアーチ橋も見たかったな
 と、思いつつ「鹿乗橋」レポートは終わり。
 でももうひとつ紹介する物があった。
 3枚目の写真にも写ってた、
 四角いコンクリートの物体です。
 石垣の上に乗っていて、
 側面には水を流すための穴が開いてます。
 水槽?
 
 県道側には柱が並んでます。
 これは土台かな?
 この上に何かが乗っかっていたみたい。
 それに柱から斜めに出た物は、
 鉄道のレールです。
 鉄道関係の物・・・じゃないよね。

 正体不明のコンクリ建築物の廃墟です。

[2005年12月現在]

鹿乗橋の下流には、江戸時代に「入尾の渡し」がありました。
その後、明治時代に鋼鉄の橋梁「鹿乗橋」が架けられた。
鹿乗橋のある場所が選ばれたのは、高蔵寺と瀬戸を結ぶのに便利であった事と、
川幅が狭くて、長い橋を架ける必要が無かったからです。
昭和22年に木製であった橋板が、鉄製に取り替えられ、
その4年後の昭和26年には、アーチが老巧化のために強度が不足したため、
橋全体がコンクリートで補強されました。
その時橋に取り付けられた銘板には、「この橋は元々□□□□橋で明治43年の架設であるが
以来40年余年を経過する中鉄骨部材が自然腐蝕してその強度55%に低下し危機に瀕したので
新らたに鋼材を挿入すると共に混擬土で被覆して補強したものである」とあります。
ちなみに「擬土」とはコンクリートの事です。
現在この橋は、幅が狭いために、高蔵寺側からの一方通行になっています。
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