【岐阜県・県道75号線旧道-神原隧道】
岐阜県飛騨市の県道75号線「神原トンネル」の脇には、大正時代に造られた古い隧道があります。
神原は「かんばら」と読みます。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 以前、別の用事で通り掛かった時には、
 この隧道の存在に気付きませんでした。
 後日存在を知ってびっくり。
 しまった。もう少し早く調べるんだった。
 と言う訳で、行って来ました、
 埋められた廃隧道「神原隧道」。

 まずは地図を見てね→■周辺図■

 県道75号線を東に進み、
 途中小さな廃道を探索しつつ、
 旧道への分かれ道に着きました。
 ここが廃隧道がある神原峠です。
 現道は新しいトンネル「神原トンネル」で
 峠を通って行きます。
 目の前にその現道トンネルが見えてますが、
 色や模様がなんだか煉瓦みたいです。
 旧隧道を意識して、あんな色にしたのかな?

 さて、時間もない事だし、
 さっさと行きましょう。
 
 これが旧道です。
 これじゃあ気付かないのも無理は無いよね。
 隧道とは反対方向に行くように見えます。
 しかも細すぎ。
 こんな所に昔は、トラックが通ってたなんて
 信じられません。
 どう見ても林道だわよ。
 ちなみに、ここは車が1台停められる
 スペースがあります。
 
 途中のヘアピンカーブで、
 旧道は隧道の方にぐるっと向きを変えます。
 ここら辺はアスファルトがちゃんと
 残ってますね。
 でも、なんだか林道のような雰囲気です。
 旧道よりも、山の方が
 木材の切り出しでもしている感じです。
 林業関係者が使ってるんだろうか?
 さて、県道らしい所はここまで。
 この先は倒木や薮が行く手を塞ぎます。
 写真にも倒れてる木が写ってますね。
 
 上の写真と左の写真の間には、
 現道によって削り取られた場所があって、
 特に薮がひどかった。
 一応フェンスがあって、
 現道への転落の心配はないけど、
 道幅が半分ぐらいなのと、
 とげのある植物のおかげで苦労しました。
 でも現道トンネルを過ぎたら道が復活したので
 楽に歩けます。
 だけど、これは何?
 土嚢が斜めに置いてある。
 どうやら山から出た水を、
 道の外へ導くための物みたいです。
 

 あきらかに人為的に掘られた溝もあって
 今でも管理されてるようです。
 ここは廃隧道前にある広場ですが、
 ヘキサと何かの石碑がありました。
 こんな所にヘキサなんて凄いぞ、って
 「472」?
 え? 75号線じゃないの?
 旧道の過去を調べてみると、一時期この道は
 国道41号線だった頃があったそうです。
 その後県道に降格し、それがこの472号線です。
 現道は地元の要望を受けて主要地方道に昇格、
 県道75号線になりました。
 それと後ろの石碑ですが、隧道関係の物では無く
 植樹記念のための物でした。

 
 これは予想以上のものです。すご〜い。
 ああやっぱり埋められてる。
 さあ、近くに行ってみよう。
 隧道の前には落ち葉が敷き詰められてます。
 上を歩くと、がさがさと…
 じゃなくて、ぐにゅうってなります。
 何かふわふわした地面です。
 何だこれ?って思いつつ、
 落ち葉をどかしてみたら、下から出て来たのは
 なんと粘土。
 雨に濡れて可塑性が増してる状態ですよ。
 つまり、柔らかい状態。
 どういう訳か粘土が積もってる。
 
 大正時代の隧道なだけあって、
 立派なお姿です。
 正確には大正12年竣工。
 昭和26年には改修されてます。
 アーチの部分は石で組まれていて、
 扁額には右から「
神原隧道」とあります。
 実はこの隧道以前にも、
 ここには越中東街道が通ってました。
 峠付近は急坂になっていて、
 人も馬もここを越えるのは大変だったそうな。
 峠には茶屋もあったといいます。
 この隧道もまた、峠の歴史の生き証人って訳ね。
 っていうか、死にそうになってるけど…
 
 
 かんじんの隧道内はどんな状態でしょう?
 詰め込まれた土砂をよじ登って、
 天井近くまで来ました。
 隧道の天井をこんな間近で見たのは初めてです。
 さわってみると、湿っていて冷たい。
 ひや〜っとします。
 見ての通り、土砂は目一杯詰められていて、
 完全に塞がれてます。
 

 でもちょっと待って。
 完全じゃなかった。
 隙間があります。
 冷たい風が吹き出して来ます。
 しかも、ずぅっと先には小さな光が…
 これは…反対側の坑門からの光だ!
 あんなに小さな隙間って事は、
 向こう側も塞がってるみたい。
 しかし、まだ完全に埋められた訳じゃないはず。
 現道トンネルを通って、
 向こう側に行ってみましょう。

 
 その前に、隧道の中から外の景色を見てね。
 こんな感じです。
 どう見ても山の斜面だけど、
 昔はトラックも通った、
 ちゃんとした県道でした。
 廃道化した時に、大量の土を盛って
 潰してしまったのでしょう。
 それでもこのポータルが残ってるのは、
 やはり捨てるにしのびなかったから?
 
 坑門のアーチが石とコンクリートの
 二重構造になってますが、
 これが昭和26年に改修された所ですね。
 頑丈にはなったんだろうけど、
 煉瓦隧道にこんな分厚いコンクリはどうよ?
 たとえて言うなら、古い木造建築の修繕に、
 アルミサッシを使うみたいなもんです。

 さて、ここはこれぐらいにして、
 向こう側の様子を見に行きましょう。
 
 反対側、つまり東側に来ました。
 こちらは県道に直接繋がってなくて、
 林道に繋がってます。
 林道と言っても舗装された立派な物です。
 こっちは随分広い道幅が残ってます。
 だからなのか、車止めでガードされてる。
 では行ってみましょう。
 
 旧道から先程の車止めを見ると、
 こんな感じ。
 案外広いスペースがあります。
 でも何故だかここには、お墓が一基だけあった。
 一瞬、石碑かと思いましたよ。
 昔は峠付近に、家が何軒かあったそうなので、
 それ関係なのかもです。
 ここは道幅が広いので、楽に行けますね。
 
 そんな訳なかった。
 あっという間に、薮化してしまった。
 今は11月なのでこんな程度だけど、
 真夏はまさに激薮状態の予感。
 とは言え、植物だらけなので、
 写真を撮ってもわかりづらい画面になっちゃった。
 こんなぐあいじゃ、
 隧道の状態も心配になってきた。
 
 倒木や雑草を掻き分け、
 道の突き当たりまで来ました。
 で、隧道はどこ?
 目の前には土の斜面しかないですよ?
 ・・・
 これ?
 確かに埋められてるので、
 隧道前には土砂が積まれてても
 不思議じゃないですが…
 ・・・
 登るの、これ?
 軽く薮になってますよ。
 と・とにかく行ってみよう。
 
 あった。
 向こうから見えていたのが、この隙間ですね。
 思ったより小さな隙間です。
 しかもこちらは、煉瓦じゃないの?
 普通にコンクリートになってる。
 昭和の改修の時に造り直されたんでしょうか。
 まあ扁額もないし、もったいなくも無いか。
 でも、これじゃあ侵入は無理です。
 せめて中を覗けないかな。
 何とかカメラだけでも突っ込めないだろうか。
 
 隙間は、小柄な人なら入れなくはないけど、
 私はやめておきます。
 で、カメラだけ入れて撮影したのがこの写真。
 鉄板によって補強されてます。
 数メートルだけ補強されていて、
 その向こうはコンクリートによる
 補強になってる。
 全部コンクリートにしなかったのはなぜ?
 この隧道はもともとは素堀りだったそうです。
 ちなみにこの写真は、
 隧道の前に座り込んで撮ってます。
 …お尻汚れそう( ̄▽ ̄)
 
 隧道の中は真っ暗なので、
 現地では何も見えなかったです。
 後で画像をフォトショップで補正する事で、
 中の様子がわかるようになりました。
 奥までず〜っと土砂が詰められてます。
 中に侵入しても歩けそうにありませんね。
 真っ暗闇の中でほふく前進です。
 水が溜まってないだけましか。

 それと、真ん中に見えてる白い点は
 西側の坑門からの光です。
 
[2005年11月現在]

神原隧道のある神原峠は、高山市の北に位置する飛騨市の古川町と神岡町の間にあります。
かつて越中東街道は、ここより南側の大阪峠を通ってました。
明治19年に神原峠が改修されてからは、こちらが越中東街道として利用されるようになりました。
馬車も通れる様になり、峠の茶屋も出来ましたが、結構な難所でもあったようです。
大正13年に神原隧道が開通してからは、トラックやバスも通行出来、増々便利になりました。
神原隧道は全長180m、幅4.6m、高さ4.2mです。
昭和30年には、国道41号線に昇格しましたが、
昭和43年に国道が北側の数河峠に移るに伴い、この道は一般県道472号線に降格されました。
しかし、トラックの大型化や交通量の増加に対応するために、
そして何より、国道で無くなった事による過疎化に対処する為、新トンネルが計画されました。
新トンネル「神原トンネル」が平成2年に完成、平成5年には主要地方道・県道75号線に昇格、
道路改良工事は平成8年に完了しました。工費は36億8千万円です。
現在では、多くの車が通行する道であり、神岡町に抜ける為のシュートカットでもあります。
道ネタ「隧道」TOPへ…