【岐阜県・県道76号線-大坂峠廃道】
岐阜県高山市の北側、戦国時代から飛騨の交通の要衝であった大坂峠。またの名を十三墓峠とも言います。
明治から昭和まで改修され続けてきた県道にある、短い廃道を見て来ました。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 大坂峠までは、急坂でカーブの連続する、
 なかなかの峠道です。
 そんな所には古い道筋が、
 旧・廃道として残ってます。
 山の中を走る区間にも、
 薮に埋もれた廃道がありました。
 でも、今回はもっとわかりやすい場所にある
 線形改良廃道です。


 で、今回の廃道ですが、
 峠道とは言っても、
 峠からず〜っと下ってきた所にあります。
 広々とした場所にあるので、
 簡単に見付かります。
 ゆえに、ありがたみは少ないですが…

 写真は峠方向から下り側を見たところ。
 道はカーブしてるけど、
 右の壁がまっすぐ続いてる。
 もちろん旧道はそちら。
 
 旧道から上の写真の場所を見ると
 こんな感じです。
 現道は右に大きくカーブして行き、
 ヘアピンカーブでぐるりと向きを変えます。
 大坂峠は目の前に立ってるポールの
 先端あたりでしょうか?
 よく見ると茶色い崖がわかるよね。
 これが峠手前にある、切り通しだと思います。
 ちなみにこの峠からは、
 「玉髄(ぎょくずい)」と言う物が採れます。
 玉髄とは“めのう”や“石英”と同じ物で、
 めのうの様な、きれいな縞模様はありません。
 
 さて、旧道の廃道を歩いて行きましょう。
 道は単純な直線です。
 このまま直進すると、前方の森に入っちゃいそう。
 左側に見えてる道が現道です。
 けっこうな高低差がついてますね。
 この高低差のおかげで、
 旧道は途中で切り取られています。
 
 どこから流れ込んで来たのか、
 路面を土が覆ってます。
 まだ雑草もまばらなので、
 廃道後、そんなに時間が経ってないのでしょう。
 っていうか、雑草が少ないのは春だから?
 この県道76号線は、
 明治・大正・昭和と改修を続けてたそうだけど、
 ここは平成の改修跡なんだろうか?
 
 現道と交わる所は、
 ご覧のような状態です。
 ちょっとここから下に降りるのは無理そう。
 廃道の行き止りには、
 ガードレールで塞がれてるけど、
 これが無かったら危ないよね。

 では、現道を通ってこの向こうにある
 廃道の続きを見に行きましょう。
 
 現道に繋がってる所から入ってみます。
 あんまり旧道っぽく見えませんね。
 ここからさっきの、
 現道に分断された所まで戻ります。
 
 少し歩いて振り返ってみた。
 奥の建物があるあたりに、現道があります。
 旧道はここらで向きを変えるけど、
 カーブの途中に「十三士の墓」と書かれた
 杭が立っていた。調べてみると…
  その昔、飛騨統一を夢みていた
 江馬輝盛なる武将が、高山の三木自綱との戦に破れ
 討ち死にしました。江馬家の家臣も後を追い、
 峠の中腹で自害したといいます。
 その時死んだ13人の家臣を弔うため、
 村人により13の墓が建てられたそうです。
 以来この峠を「十三墓峠」と呼ぶようになった。
 と、いうのが“十三墓”の由来です。
 
 な〜るほど。
 そんな歴史があったんだ。
 それを思うと、この峠道も何だか
 特別なものに見えてきた。
 写真には写ってない右側には、
 採石場関係の場所があって、
 雑然とした感じになってるけど、
 この画面だけ見てると、
 古い峠道の姿が想像できるね。
 とは言え、明治時代の古い道は
 別のルートを通っているので、
 ここは昭和時代に造られた道でしょう。
 
 カーブを曲がって現道に向います。
 道の先のガードレールを見ると、
 旧道は左に曲がってるように見えるけど、
 正面のガードレールは車止めの物です。
 なんか、正面の山にある採石場に
 行っちゃうように見えるよね。
 いや、今気が付いたんだけど。
 実際は右に曲がって行きます。
 
 旧道が現道にぶった切られた所に来ました。
 ガードレールを乗り越えて
 そのまま進むと下に落ちます。
 で、旧道はこの先どこに向うかといえば、
 画面の真ん中の斜面のへこんでる所です。
 現道から見上げてみると、
 とんでもない所で道が切れてるのが
 よくわかります。

 [2005年5月現在]
 このレポートは2006年9月公開なので、
 探索から1年以上経ってます。
 今もあんまり変わりないと思うけど…( ̄▽ ̄;)

写真で見るのと違い、実際は短い廃道です。
現道は大きなカーブで大回りしていて、旧道の方が距離は短いのですが、
付け替えられるという事は、やはり旧道の線形は無理があるという事でしょう。
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