【長野県・県道217号線-坂戸橋】
長野県中川村を流れる天竜川に架かる、見事なコンクリートアーチ橋。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 それは本当に偶然でした。
 長野県の道の駅巡りをしていた時、
 ちらっと見えたそれは…
 なんとも素晴しい、大きなアーチ橋。
 素晴しき橋はここ→■周辺図■


 ■坂戸橋-側面図■
 
クリックすると原寸サイズの物が
 別窓で開きます。
 ちなみに写真から起こした物ですので、
 正確な図面ではありません。

 飯田インターから国道153号線で
 道の駅・花の里いいじまに向かってる途中、
 ふと見えた景色は・・・
 あっっ! アーチ橋だ!
 しかも古そう!
 さっそく行ってみよう!!

 それにしても風情のある景色だね。

 

 道幅は今の道路のレベルからすると、
 ちょっと狭いように感じるけど、
 中々立派です。
 しかも親柱が凄いよ。
 銅製?の照明が立ってる。
 今でも点くのかしらね?

 

 ほうほう「坂戸橋」と言うのですか。
 銘板は金属や磁器じゃなくて、
 御影石を彫ったものみたいです。
 親柱の中身はコンクリートで、
 花崗岩の板を貼っただけだそうな。

 
 こちらは竣工年が彫ってあった。
 ちょっと見辛いけど
 「昭和七年拾壱月」…だって
 なんと! 昭和ひとケタ!
 ちょっと奥さん!昭和一桁ですってよ。
 大正7年に出来た黄柳橋のアーチは30mで、
 当時日本一のアーチ橋だったのに、
 15年後に出来た坂戸橋が
 それを遥かにしのぐ長さなのはビックリ。
 
 横からも見てみようとしたけど
 上からじゃ無理でした。
 でも、なんとか河原に下りて来ました。
 昭和一桁とは思えない
 大きくて長〜〜い橋です。
 調べてみたら70m以上もあるそうです。
 大正時代の一気に倍ですね。
 
 もう少し近づいてみよう。
 でかいね〜。
 アーチが3つ並んでる。
 すごい頑丈そうだ。
 橋桁よりアーチの方が目立ってる。
 当時の技術じゃ、
 これぐらい大きく造らなきゃ
 ならなかったんでしょう。
 

 アーチ橋ではここが橋台ですね。
 どっしりしてます。
 昭和初期に造られただけに、
 木の型枠の跡が表面に残ってます。
 それでも、この細かなデザインはどうよ?
 けっこう複雑な造形ですよ。
 アーチの角も綺麗に面取りされてるし、
 昭和一桁なのが信じられない。

 

 この橋は77.86mあるそうだけど、
 現代のアーチ橋と比べても、
 引けを取らない出来です。
 コンクリの表面も
 きれいに補修されてるので、
 今でもキッチリ管理されてるのでしょう。

 それとこの橋は、失業対策として
 造ったそうだけど、
 まさに公共事業の正しき姿ですね。
 今なら無駄な工事って言われかねないね。

 [2009年7月現在]


時に満州国建国や五・一五事件が起こった昭和7年は、昭和恐慌による失業問題が深刻化し、
国や地方では、失業者を救済するために、失業救済事業として土木工事などを行った。
この「坂戸橋」も、その失業救済事業の一環として、昭和7年3月に起工されました。
橋長77.86m、有効幅員5.5mのRC上路コンクリートアーチ橋です。
昭和7年11月に竣工されました。取付道路を含め、全て完成したのは昭和8年3月です。
当時の資料では、橋の形式が「固定式鉄筋混擬土拱助橋」とあり、
路線名は「府県道復(福?)興飯島線」と記載されています。
総工費は78,686円。竣工した時に盛大な開通式が行われたそうです。

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