【国道257号線旧道-日和田隧道】前編
岐阜県の萩原町と馬瀬村との峠に開削された隧道。現在は両町村は下呂町と合併して下呂市になりましたが
人々の生活や戦争の悲しい思い出を秘めた峠は、今なお存在しています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 ロードマップや地形図にはっきりと描かれた
 日和田隧道と旧道の道筋。
 事前情報では隧道は封鎖されているそうです。
 しかし自分の目で確かめてみないとね。
 まずは、西側の様子をどうぞ。

 地図はこちら
 別窓で開くよ♪→■周辺図■

 飛騨萩原町から国道257号線に入り、
 旧道を横目に日和田トンネルを潜り、
 やって来ました日和田峠への道。
 旧道の日和田隧道は閉鎖されていますが、
 そんな事を感じさせない
 広くてきれいな道です。
 他サイトによると隧道手前には、
 稼働中の砕石場があるとの事です。
 そこに出入りするトラックが通るので
 現道並みに道の状態が保たれているんでしょう。
 逆に言うと旧道らしさのない
 面白みの無い道という事ですね。
 とりあえず行ってみましょう。
 
 少し上がってきました。
 今はちょうど紅葉の季節です。
 紅葉のただなかを走るって程じゃないけど
 けっこうきれいな景色ですね。
 途中には「すれ違い注意」みたいな看板が
 そこかしこに立ってました。
 確かにトラック相手なら注意しなきゃ
 っていう位の微妙な道幅です。
 
 峠近くまで来ました。
 なる程、砕石場があります。
 「今井産業」と言う会社です。
 他サイトによるとこの旧道は、
 この会社の敷地になっているって言うけど、
 自分が見たところ違うみたいです。
 一見、部外者立ち入り禁止みたいな感じだけど
 どこにも立ち入り禁止の看板はありません。
 入り口に監視所みたいな建物がありますが、
 よく見ると、トラックの重さを計る所です。
 この旧道はいまだ公道である、
 っていうのが私の感想です。
 でもここを訪れるなら、
 平日を避けて休日の方がいいでしょう。
 

 砕石場をぐるりと周り込んで
 目の前には閉鎖隧道の姿が。
 さすがにこんな場所まで車が来ないのか、
 落ち葉などで荒れています。
 その昔人々は、この上の日和田峠を
 歩いて越えていったそうです。
 人だけじゃなく、
 荷物を載せた馬も通ったそうな。
 何だか大変そうな話ですね。
 今も、この隧道の上には峠道があります。
 すっかり山道となった道には、
 その昔、峠の茶屋がありました。

 

 この日和田隧道は昭和12年の開通です。
 この隧道のおかげで増々人や物の行き来が
 さかんになった事でしょう。

 さて、隧道はと言うと
 コンクリートと金属板でがっちり塞がれてます。
 右側にはガードレールが立て掛けてあるけど
 何の意味があるの?

 
 古いだけあって右書きの扁額。
 緑色の錆?もいい感じ。
 このポータル、コンクリート製だけど、
 古色蒼然な感じがナイス。
 昔はコンクリートって、永久に壊れない
 みたいに思われていたそうだけど、
 そんな訳ないよね。
 特に高度経済成長期に造られた建物は
 まじにやばいです。
 新幹線の高架やトンネルでコンクリートが
 剥離するって事ありましたよね。
 

 視線を左にずらしてみましょう。
 こうして見ると、隧道のふたが
 きっちりと丸く造ってあるのがわかります。
 でもなぜ全部コンクリートじゃないの?
 まさか、後から入れるようにってこと?
 わかりません。
 見ようによっては
 シャッターに見えなくはないです。
 永久に閉店になってます。

 
 さて、隧道も堪能した所で
 反対側に廻ってみましょう。
 これは隧道を背にして写したものだけど、
 けっこうな荒れ様です。
 誰も掃除しないですもんね。

 奥に見えるのは砕石場の施設の一部です。

 後編は旧道を東側から見てみます。
 向こうはこちらとは比べ物にならない程
 荒れているらしいです。
 西側は肩透かしものなので
 期待が膨らみます。

国道257号線の旧道の西側を見てみましたが、こちら側は現在も使用中なために
旧道らしい雰囲気は少ないと言えましょう。
車での訪問の際は、砕石場に出入りするトラックやダンプに注意して下さい。

日和田峠は太平洋戦争の頃、村人が出征する兵士を見送ったと言います。
また、白木の箱に入れられて還って来た者を、峠まで迎えに行ったそうです。
現道の日和田トンネルの側には、戦没者の慰霊碑が、悲しみの歴史を背負って立っています。
道ネタ「隧道」TOPへ… 日和田隧道・後編へ…