【国道418号線-達原廃道】
岐阜県と長野県の県境を縫うように走る、国道418号線の上矢作町の旧道区間には
破壊の限りを尽くした廃道部分があります。
旧道を迂回するため造られた「達原トンネル」にちなんで達原廃道と名付けてみました。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 国道418号線と言えば、
 廃道・酷道のオンパレードとして有名な道です。
 部分的に快適路に生まれ変わりつつありますが、
 やはりほとんどの所は相変わらずですね。
 ここもそんな国道の酷道区間の一角にある
 旧道の廃道です。

 地図も見てね→■周辺図■


 岐阜県の上矢作町は、長野県の南信地方に隣接する
 豊かな自然がある町ですが、
 同時に、土砂崩れなどが多発する
 災害発生地帯でもあります。
 ここも例に漏れず、崖崩れのために不通になった
 国道を迂回するためにトンネルが作られました。
 旧道はトンネルの手前で分岐するような形で
 崖沿いのルートを通ります。
 でもこの旧道、この先は通行不可能なのに
 きれいに整備されています。
 しかもトンネル側は通行止されてるし…
 去年は通れたはずなのに、
 どうなっているんでしょう?

 

 とりあえずトンネルの事はおいといて、
 先に進んでみましょう。
 この辺も不必要にきれいです。
 ってゆうか新しくなってる?
 この先は通れないのになぜでしょう。
 この先は路面が崩れた崩落現場です。
 しかも修復が絶望的な程の崩れっぷりです。
 なぞですね。

 無駄に快適な道をしばらく歩いて行くと…

 
 左側にカーブすると間もなくガードレールが。
 ガードレールの手前まで
 鋪装し直されているのがよくわかります。
 その先が従来の路面。
 こちらも新しめの鋪装です。
 でも、きれいでも路肩が崩れていて、
 実質的にはここからが廃道区間の始まりです。
 

 さっそくこれですね。
 路肩がぽろっ…
 しかし、
 こんな所が2003年には通行できたそうで、
 上の写真のガードレールも
 その頃はなかったみたいです。
 赤いコーンもやる気なさげに佇んでいます。

 

 さらに進むと
 路肩に、一直線に草の生えた所があります。
 そろそろ前方に異変が…

 それにしても、
 谷の下を流れる川はけっこう急流です。
 轟音が轟いていて
 なかなかにぎやかです。

 
 ついに到着、
 旧道を廃道に追い込んだ崩落現場です。

 唐突に路面が途切れています。

 え〜と… すごい高さなんですけど。
 あと一歩踏み出すと
 自分がぽろっと逝きます。

 では逝っちゃった廃道の様子を
 大画面でどうぞ!
 
ないんですよ、道路が。そりゃあもうスッパリと。
これはもう崩壊とかいうレベルじゃありません。壊滅です。まさに国道壊滅現場。
向こう側に行こうなんて無謀以外のなにものでもありませんて。
途切れた路面、ぎりぎりの所から撮影してみました。
コンクリートの構造物や擁壁のブロックが河原に散乱してますが、
これだけの広範囲に崩落した割には量が少ないです。
川の流れを確保するために片付けられたのでしょう。
(こんな所に重機を入れたってコト? 信じられませんね)
それにしても、あまりに大規模な現場なので画面の中におさまりきりません。すごすぎです。
向こう側の無事な所まで、100メートル以上に渡って滑り落ちたようです。
縦位置で撮影。少しは臨場感が感じられる?
足下は垂直の崖のようです。
でも前方の道の破断面を見ると、こっちの崖も垂直どころかえぐれてるかも?
路面の高さは15メートルぐらいでしょうか。ちょうど恐怖感を感じる高さですが、
何より恐いのは今立っている所が、けっして安全じゃないって事です。
この4枚上の写 真をもう一度見て下さい。
崖沿いに草が一列に生えていますが、これは路面に一直線にひびが入っているからです。
そう、それって路面がずれている証拠ですね。
遠からずここも崩落の運命です…
■達原トンネルのある岐阜県上矢作町の付近は、中生代花崗岩類で構成されています。花崗岩は元々侵食に弱く、風化しやすい性質をもっており、ここも例外ではありません。山肌から覗く岩はどれも風化しており、今にも剥がれ落ちそうです。しかも上矢作町周辺は水害が発生しやすい地域でもあり、大雨がふった時は、土砂崩れや道路決壊が多発しています。やはり、この風化花崗岩が原因なのかと…。ここの廃道の場合は、川の流れが道路下の法面 にダメージを与えたようです。激しい水流と風化によってもろくなった岩盤のダブルパンチです。地質そのものが道路敷設に向かない以上、トンネルで迂回する以外の選択肢はないと思われます。
見事なぐらい、ななめに切り取られています。
擁壁のブロックと側溝のU字溝がそのまま残っているのって、何か異様な光景ですね。
残念ながら今回は、反対側から近付くことは出来ませんでした。
また土砂崩れでもあったのか、トンネルの前後が通行止になっていたからです。

この国道の崩れた原因は、2000年9月11〜12日の東海豪雨によるものです。
かつてここでは、大地震により山が崩れ、天然のダム湖が出来ました。
そのさまが海のようであった事から、この辺りの地名を「海」と言う様になったそうです。
東海豪雨により、河床が洗い流された事で当時の倒木が出現しました。
その埋もれていた木の年代測定から、大地震が天正年間に起こった事が分かりました。
1586年1月、天正13年に起きた天正地震だという可能性が高いそうです。

問答無用な廃道でした。国道418号線の酷道区間にしては比較的走りやすい道だったのに、
いきなりあの崩壊はインパクトがあります。
それにしてもこの国道、いつになったら全線通れるようになるのでしょうか?
[2004年5月現在]

ようやく通行止が解除になって反対側も見て来ました。[2004年12月現在]
道ネタ「廃道」TOPへ… 反対側からの再訪問編…