【国道19号線旧道-賎母廃道】
長野県南木曽町を通る国道19号線には、ダム湖脇に残った旧道が、廃道同然の状態になっています。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 

 国道脇にある怪しいゲートの向こうには、
 国道の旧道がありました。
 しかもそこは、何だか訳のわからない状態に…
 まあ、見てやって下さい。
 ちなみに「賎母」と書いて
 「しずも」と読みます。

 国道19号線の現道は左側に曲がって行き、
 橋を渡ってダム湖の西側を通っています。
 さて、問題の旧道ですが、
 広い駐車スペースの脇から延びてます。
 ゲートとガードレールで通行止されていて、
 最初は工場か何かの入り口に見えた。
 でも、ゲートに掛かってる標識は…
 通行止めのバッテンじゃなくて、
 これは、車輌侵入禁止だよね?
 私は車輌じゃないので、
 ちょっと入らせてもらいます。
 
 その前に・・・
 このレポートは2006年1月作成ですが、
 旧道探索は2004年4月に行ってます。
 実に2年近く経ってますが、
 この時は中途半端な探索しか出来なかったので、
 後から再度訪問しようと考えて、
 寝かしておりました。
 さすがにこれ以上ほったらかしには出来ないので
 レポートを作ります。
 ちょっと古い情報ですが・・・
 中に入るとショベルカーが置いてあります。
 何かの作業中?
 それに、向こうあるのは…
 
 道の上に土手が築かれてます。
 何ですか?
 道幅が半分ぐらいになってる。
 でも、国道だった名残りがたくさん残ってる。
 奥にある大きな白い看板は、
 行き先が書いてある、いわゆる「白看」じゃなく
 名所の案内のための看板です。
 「田立の滝→7km」ってあります。
 田立(ただち)の滝とは、いくつもの滝の総称で
 岩場を流れ落ちる見事な滝が見られます。
 それに、
 この先には隧道もあるはず。
 
 途中に分かれ道があった。
 こちらは薮に埋もれていそうで、
 通れなさそう。
 なので今回はスルーです。
 ここを行けばあの赤い橋に行けるんだろうか?

 赤い橋の上に口を開けてるトンネルは、
 JR中央本線のトンネルです。
 

 今来た方を振り返ってみました。
 こんな所にパーキングスペースがあった。
 でも、土砂に埋もれてわからなかった。
 それに「山口村」の看板が立ってます。
 この山口村は長野県の村でしたが、
 2005年2月の平成の大合併によって、
 現在は岐阜県中津川市になってます。

 
 来ました。
 賎母隧道。
 廃隧道な雰囲気がしますね。
 崖の斜面も崩れて、雑草だらけになってる。
 でも、まだ使われてるようです。
 ダム関係の人が使ってるかも?
 実はここに隧道がある事を知らないで来たので、
 この時は隧道を見付けてびっくり。
 

 う〜ん、真っ暗。
 もうすでに照明も消えてます。
 反対側の坑口が結構遠い…
 ちょっと入ってみたけど、
 これは無理。
 当時はライトなど持っていなくて、
 ここを抜ける事は出来ませんでした。
 取り敢えず反対側から再度挑戦しましょう。
 その前にもうちょっと隧道を見てみよう。
 一見特徴の無いふうだけど、
 いちばん上の部分は、
 ブロックが並んでるようなデザインになってます。
 さりげなく凝ってる。


 対岸を走る現道を通って、
 反対側のゲートに来ました。
 こちらも「車両侵入禁止」が掛かってます。
 右に行く道は、木曽川の河原に行く道です。
 
 「一般車輌通行止」ですって。
 許可のない車は通っちゃだめって訳で、
 勝手に入って何かあっても知らないよ。
 なんて事が丁寧に書いてあります。
 でも私は車輌じゃないので以下同文。
 あ。でもここは隙が無い。
 入れないみたい。
 ・・・
 ―って下に大きな隙間が…
 
 何とか入ってきました。
 ここにも例の土手がある。
 しかも鉄道の築堤のように、
 きれいに造られてます。
 土置き場なのかしら?
 それとも、旧道の半分を自然に帰すの?
 よくわかりませんね。
 
 お〜っと、キロポスト発見!
 三角柱タイプです。
 ガードレールも二重になっていて、
 雰囲気あります。
 
 大きな崩落もありました。
 2mぐらいありそうな岩が
 フェンスをぶち破って落ちてます。
 でも、車が通れる幅が確保してあります。
 轍が付いていて、やはり車の通行が
 あるようです。
 
 赤いコーンが三角形を作っていて、
 何かを守ってます。
 守ってるって言うか、車が通らないように
 注意のために置かれてる物ですね。
 単にアスファルトが剥がれてるだけみたいですが。
 でも、こんなんがあるってのは、
 車の通行がある証拠ですね。
 そんな道を廃道って言うのは微妙。
 この先もこんな感じの道が続きそうなので、
 これにて終了。
 
[2004年4月現在]

もうすでに一般車は通行していませんが、木曽川にある発電用のダム・山口ダムの関係者と、
旧道の途中にある採石場の車が出入りしているようです。

この旧道は、明治時代に県内の道路を改良した時に「賎母新道」として造られた道です。
昭和30年には山口ダムが建設され、水没する国道部分は付け替えられ、賎母隧道が造られました。
特にその水没箇所は「犬帰り」と呼ばれる難所で、工事も難工事だったそうです。
隧道手前の赤い橋「やはず橋」に行く道が、その「犬帰り」です。
昭和47年に、対岸を走っていた国鉄中央本線が移動した折に、国道バイパスがこの跡地に建設されました。
現在旧道は一部の会社が使うだけの、私有地の様な道になっています。
道ネタ「廃道」TOPへ… 賎母新道MAPに戻る…