【国道42号線旧道-三浦隧道】前編
三重県の国道42号線には沢山の旧・廃隧道があります。しかも大正時代の煉瓦隧道です。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 れんがずいどう…いい響きです。
 ここは三船トンネルの横にある旧隧道、
 三浦隧道です。
 ネットの情報では
 中がすごい事になってるそうだけど、
 もっととんでもない事になってた…
 とんでもない隧道はココだ→■周辺図■

 国道42号線を南下して来ました。
 現道の三船トンネルの横には、
 ひとまわり小さな旧隧道・三浦隧道です。
 何気に大正煉瓦隧道があるなんて、
 さすが熊野街道。
 あなどりがたしです。
 
 近くに来てみました。
 おお〜、すばらしい。
 でも、木がジャマ。
 まるで隧道を隠すように植えてある。
 っていうか、隠してる?
 事前に調べた情報には無かったのに、
 何で木が植えてあるの?
 
 まあ、取り敢えず扁額を見てみよう。
 おお〜、かっこいい。
 「道隧浦三」と、しっかり読めますね。
 大正時代には赤い煉瓦が森の中に映えて、
 どんなに綺麗だったことでしょう。
 今は今で、歴史が感じられて
 グッジョブです。
 
 さて、さっそく入ってみましょう。
 すると壁に不思議なものが・・・
 暖炉ですか?
 鉄道トンネルじゃ待避坑だけど、
 道路隧道にもあるの?
 しかも入口のすぐ近くなのに。
 でも、凝った作りですよ。
 それに上の方には、
 煉瓦を斜めに置いて出っ張らせた
 デンティルという飾りがあります。
 なんて言うか… 凝りすぎですね。
 
 そしてもうひとつ凝ったものが・・・
 何かと思えば、これ銘板ですよ。
 ほら、普通は金属製で、
 竣工年やサイズや建設会社名なんかが
 書かれた板のことですよ。
 …で、これには何て書いてあるの?
 よくわかりませんね。
 後で調べてみましょう。
 
 内部の煉瓦巻きは“暖炉”のとこまで。
 後は岩盤むき出しの素堀りです。
 確かに、煉瓦は必要ないぐらい
 固そうな岩盤です。
 
 って、崩れてるし〜〜…
 だめじゃん(;´∀`)
 風化してるのか、
 ここだけ無理なちからが掛かってるのか…
 まあ、たいしたコトないので
 ちょこっと越えて行きましょう。
 こんな風に崩れた所を補修した跡なのか、
 小さな煉瓦の壁があった。
 
 あれぇ?
 なんか、木材が立てかけてあるよ。
 いやこれって・・・
 つっかえ棒ですかぁ?
 ああ、よく見りゃ壁が大変な事に…
 壁が斜めに削れてます。
 岩盤の割れ目に沿って
 岩が剥がれ落ちたのでしょうか?
 
 こんな木材が役に立つのか
 はなはだ疑問だけどね・・・
 立てかけてあるだけかと思ったけど、
 地面に穴があけてあって、
 そこに木材が差し込んであった。
 うん。これなら安心。
 ―なわけないって。
 なぜコンクリの壁にしないのだろう?
 
 もう、崩れ放題ですね。
 で、面白いものを発見。
 壁の岩盤を見ると、曲がった模様が。
 これは褶曲(しゅうきょく)ですよ。
 ああ、ここの地質って
 チャートだったんだ。
 固いけど風化すると崩れやすくなる岩です。
 崩れるだけ崩れて、
 今は安定してるみたいです。
 と言っても安全の保証は無いけどね。
 
 ここにもあった、煉瓦の壁。
 岩と煉瓦の境目はどうやったのか、
 キッチリ収まってます。
 壁をぐるりと一周して
 アーチになってる部分もありますが、
 そんなにヤバイ場所なの?
 しかも左側はコンクリートになってます。
 煉瓦の上からさらに
 補修しなくちゃならないような
 危険な場所なんだろうか?
 
 けっこう歩いて来たけど、
 もうそろそろ反対側に着くかな?
 って、あれ?
 一面コンクリートになってる?
 しかも、鉄骨で補強してあるよ。
 事前に調べた情報には、
 こんな物は無かったのに・・・
 も…もしやこれは!?
  続きはWEBで… じゃなくて後編で。
[2010年1月現在]


明治になり、熊野街道の一部が車道として改修されたものの、
旧道よりも数倍も距離が長くなってしまいました。
その不便を解消するために隧道を掘り、村落間を最短ルートで結びました。
三浦隧道はその中のひとつで、長さ約315m、幅5.5m。
隧道内の銘板には、起工/大正四年九月 竣工/大正六年三月
設計者/三重県技師 岩井藤太郎 施工者/三重県技師 天野久 石工/□□□□ とあります。
設計者の岩井藤太郎は、門司市から三重県に赴任してきた技師で、
国道42号線の尾鷲隧道や三浦隧道などの一連の煉瓦隧道は、彼の手による物です。

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