【国道417号線-徳山の橋】2006年12月編
試験湛水が始まって、はや2ヶ月半ほど経ちました。
水位はどんどん上昇し、村の歴史も思い出も、今や水の底に沈んでいます。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 12月になり、すっかり寒くなってきました。
 そんなある日、
 新聞に徳山村の様子が載ってました。
 そこには1階まで水が来た徳山小学校の姿が…
 こ・これはいそいで見に行かなくては!
 雪に閉ざされる前に、
 今年最後の徳山村に行って来ました。
 リンクのある画像は、大きな物が別窓で開きます。

 今日は12月10日の日曜日。
 岐阜県は晴れてますが、
 日本海側は雪になってました。
 ここ徳山村はちょうど境い目にあるらしく、
 ここの上は晴れてるのに、
 奥に見える山の上には、
 雪雲が重々しくのしかかってます。
 そして、村の様子は・・・
 もう、完全に水没してる。
 
 やはり、小学校の校舎が最後まで
 残ってますね。
 でも、左側にも何か出てる。
 これは中学校跡の工事現場に捨てられた、
 土砂の山だ。
 今まで気にもしなかったけど、
 小学校と同じ高さだったのね。

 それにしてもこの水面の下には、
 ちょっと前まで通っていた国道があるのが、
 感慨深いものです。
 もう二度と行く事のできない道…
 究極の廃道ですね。
 
 なかなかドラマチックな光景であります。
 でも、現実はドラマとは違って、
 ナレーションもBGMもありません。
 湛水は静かに進行して行きます。
 学校の校舎は、
 思いのほか山に近い位置にあったのが、
 この写真を見るとよくわかります。
 もうすっかり1階は沈み、
 2階まで水が来てますね。
 これで旧・徳山小学校とは最後の別れです。
 ああ、何だかしんみりしちゃいました。
 
 さあ、今日の「徳之山八徳橋」はどうでしょう。
 県道270号線の旧道は、
 もはや影も形もありません。
 
 「漆谷橋」の方は・・・
 すでに水の底です。
 もうこんなに水が溜まってますね。
 かつては人の生活があったなんて、
 信じられない景色です。
 
 磯谷ベロリ橋からは、
 こんな橋の姿が見えました。
 これは最初のレポートで「水没橋3」と
 紹介した橋です。
 半分沈みかけてます。
 満水時には、完全に没してしまうでしょう。

 さて、これにて2006年のレポートは終わりです。
 旧・徳山村は春まで雪に閉ざされてしまいます。
 春に再び訪れた時には、
 完全に水没してる事でしょう。
 
 徳山に来る時は、必ず寄っている
 “道の駅・星のふる里ふじはし”には
 民俗資料館があります。
 その名も「徳山民俗資料収蔵庫」。
 収蔵品が重要有形民俗文化財になっていて
 何だかすごそうです。
 今回は、在りし日の徳山村を偲ぼうと
 入場料を300円払って、
 見て来ました。
 中は…色々な道具が置いてある、
 まさに「収蔵庫」だった。
 民俗学に興味のない人には
 ぶっちゃけつまらない所ですよ。
 その中でも私の目を引いたのが、
 まだ人が住んでいた当時の写真です。
 でも、よく見たらこれは公共の建物ばかりです。
 学校や郵便局もいいけど、
 もっと村の生活の様子がわかる、
 商店や家並みなんかの写真があれば
 もっとよかったのにねぇ。

[2006年12月現在]

いよいよ旧・徳山村に“最後の時”が近付いて来ました。
30年以上かかったダム建設も、あと少しで終止符が打たれます。
この「徳山の橋」レポートも、これをもって完結となるでしょう。
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