【国道417号線-徳山の橋】廃小学校-後編
徳山村の中心地には、最後まで残った小学校の廃墟が、高台に佇んでいます。
春になり、再び訪れてみました。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 暖かくなり、山では雪が融け
 道活動に最適な季節になりました。
 と言う訳で…
 そうだ。徳山に行こう。
 あの小学校はどうなってるだろう?

 変わりありませんねぇ。
 相変わらずです。
 前回と違い、青空をバックの写真です。

 写真をクリックすると、
 大きい画像が別窓で開きます。
 
 旧・徳山村は山深いので、
 まだ雪が結構残ってます。
 国道の道路脇にも残雪がありました。
 しかし、ここからの雪景色は、
 もう二度と見る事が出来ない。
 こんな景色はこれで最後です。

 じゃあ中に行きましょうか。
 
 今回は、前回見れなかった部屋を
 見て来ました。
 えっと、ここは2階だったかな?
 何の部屋だろう?
 家庭科室とかかな。
 壁は板張りで、一面に落書きされてます。
 誰よ、こんな所に落書きして…って
 よく見たらこれはメッセージだ。
 ここを訪れた人が、
 徳山に対する思いを書き綴ったものです。
 ある意味寄せ書き?
 
 これは徳山の住民だった人が
 書いたものみたいですね。

 でも、左側のラーメンマンは何?

 下の衣装ケースに入ってるのは、
 岩盤のサンプルなんだろうか?
 

 教室にも入ってみました。
 この小さな黒板には、
 「明日の学習予定」って書いてあります。
 明日の予定は永遠に未定なので、
 何も書いてありません。
 色紙で作ったくさりが、
 ちょっとしたお祭り気分。
 それとも、沈みゆく学校に手向けられた
 花束の替わりなのかしら?

 
 教室の真ん中には、
 打ち捨てられたオルガンが…
 現役の頃は大事にされてたのでしょうが、
 今は置き去り。
 最後の時まで、
 仲間達と思い出話しをしているのかな?
 

 今日は3階にも行ってみます。

 階段の前に、
 鉄製の机のバリケードがあるけど、
 誰かがどかしたのだろうか?

 
 3階の窓はすべて板で塞いであるので、
 中は真っ暗かと思ったけど、
 結構明るいです。
 大きな隙間から日の光が入って来ます。
 ここは講堂みたいです。
 右側には舞台があります。
 発表会や演奏会なんかをやっていたのですね。
 しかし、観客は私ひとり。
 無人の舞台では、
 思い出の中の“発表会”が
 ひそやかに進行しています。
 
 階段の横の部屋は、準備室なのか、
 いろんな物が散乱してました。
 その中でこの看板は目立ちます。
 昭和58年の学習発表会の物です。
 20年以上前です。
 当時の子供は現在、
 30才ぐらいでしょうか?
 
 赤いカーペットのこの部屋は、
 どうやら図書室のようです。
 いや、間違い無く図書室です。
 写真には写ってないけど、
 右側にはカウンターがあります。
 今日の貸し出しは無理そうです。
 
 まだ沢山本が残ってます。
 なんで持って行かなかったんだろう?
 それとも、
 持って行く先がなかったから?
 取り敢えず私は触らないでおきました。
 ここが水でいっぱいになってる所を想像すると、
 悲しくなってきますね…
 でも泣かないっ(≧ω≦)
 
 さらに上に上がって来ました。
 あとは屋上だけです。
 その前に大きな看板?があった。
 看板じゃなくて、版画だ。
 卒業製作とかだろうか?
 自然にぼろぼろになったと言うより、
 破られたみたい。
 誰か知らないが、ちょっとひどいぞ。

 絵の下には選挙ポスターが貼ってある。
 っていうか、掲示板の再利用?
 いわゆる一つのリサイクルね。
 
 屋上は水浸しです。
 目の前の塔は、
 換気のための物でしょうか?
 外に出られそうもないので、
 今回はここまで。

[2006年4月現在]

 でも、次回は無かった・・・
 
 2ヶ月後に行ってみたら、
 ご覧のありさま。
 鉄板で完全封鎖されてます!
 ええっ?
 なんで?
 今になって封鎖ってどういう訳?
 
 もう誰も入れないぞ
 っていうぐらい、
 徹底的に塞いであります。
 訳がわかりません。
 雑草も閉め出しくらってます。
 「入れてよ〜〜」って風に見える。
 
 こちら側もシャットアウト。
 もう誰も自由に入れません。
 入れないのが、廃墟としては
 正しい姿なのかもしれもせんが…
 これって一時的な処置なのかな?
 その内どけられるのかも?
 でも、8月に行った時も
 このまんまだった。
 泣くぞっっ(≧Д≦)

[2006年6月現在]

 もう見納めなので、9月にも行って来た。
 
 もうあとわずかの時間しか残って無い
 旧・徳山村には、大勢の人が訪れてます。
 今日は9月最初の日曜日ですが、
 沢山の車が走ってるのは、今まで見た事ない。
 で、小学校ですが、やっぱり塞がってた。
 でも何故か、入り口横の薮が無くなってる。
 2枚上の写真の所です。
 裏からなら入れるかも?
 そこを歩いて行ったら、プレハブ小屋の前に出た。
 あ。ここは塞がれてない。
 しかも入り口には、大きな隙間が…
 ちょっとのぞいて見ましょう。
 
 中には飛び箱やオルガンや、
 その他色々な物が放り込んであった。
 やっぱりここって、体育倉庫だったんだ。
 結局校舎自体はガッチリ塞がれてました。
 残念…( ̄▽ ̄)…
 今となっては、
 ここが唯一、入れる場所ですね。
 だからといって、荒らしたりしないように。

[2006年9月現在]

このレポートの発表段階で、残り時間はあと1ヶ月あまりとなりました。(2006年9月現在)
旧・徳山小学校は、子供達の“思い出”を封印したまま、湖底に沈もうとしてます。
プレハブ小屋なんかは、水圧で潰れてしまうかもしれません。
国道脇にある展望台から見る小学校は、まるで旧・徳山村の墓標の様でもあります。
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