【長野県南木曽・二又橋(十二兼の吊り橋)】
長野県南木曽町の十二兼駅のそばの木曽川に架かる、個性的な吊り橋です。
青字…ラピスのコメント ■黒字…作者のコメント
 
 木曽森林鉄道を探しに南木曽に来た時、
 偶然見付けた古そうな吊り橋。
 近くでよく見てみれば
 なんとも変わったデザインの橋です。
 見付けた時は通り過ぎてしまったので、
 後日、渡りに行って来ました。
 橋とその他の物件の周辺図は→■周辺図■

 まずは少し離れた所から。
 アンカレイジのすぐ上から写してみました。
 すごい所にありますね。
 橋を渡った向こうには森しかありません。
 この地方には、
 発電所建設のために造られた吊り橋が
 たくさんありましたが、
 これは違うような…
 
 この吊り橋は道路より低い位 置にあるので、
 農道のような道を下りて来ました。
 横から見ると結構きゃしゃな主塔です。
 橋の前の道には車が通った跡があるけど、
 吊り橋じたいは歩行者用です。
 なので、橋桁は狭いです。
 それと、この吊り橋の名前はわかりません。
 これだけ立派なモノだから、
 名無しなワケないでしょうが、
 どこを探しても橋の名前がなかった。
 (しかし後に名前が判明。二又橋だって)
 
 さて、名前の事はおいといて…
 どうです、この個性的な姿。
 真ん中には、一見“バッテン ”のようだけど、
 よく見るとV字型が
 背中合わせに並んでます。
 なにげにこだわりのデザインですね。
 幅が狭いので、
 細長くて背が高いように見える。

 それでこの橋は、いつ造られたんだろう?
 桃介橋とかは大正時代に造られてますが、
 これも大正時代なんだろうか?

 では、渡ってみましょう。
 そう言えば、今まで渡った古い吊り橋には、
 何人以内で渡れって注意書きがあったけど、
 ここには何もありません。
 それ、かえって無気味よね。
 渡る時に何かに注意しなくていいの?
 本当にいいのね?
 
 正直ちょっと恐いですね。
 細〜い橋桁だし。
 そう、ちょうどこんな感じ。
 ―って、手すりじゃなくてネットだし!
 吊ってるケーブルも細っ!
 金属の部品も錆びてるし・・・
 ああ… 向う側が遠い・・・
 
 そして床板はというと…
 薄いです。
 それに、なんか穴がいっぱいあいてるし。
 この穴は何?
 軽量化のためですか?
 少しでも橋を
 軽くしなければいけないのですか?
 慎重に歩いた方がよさそうです。
 揺らさないよ〜に、
 そ〜っと そ〜っと。
 
 でも思った程揺れませんね。
 駅の方を向いて撮ってみました。
 いい雰囲気です。
 
 渡りきって対岸まで来ました。
 蔦がからまって
 なんか山の風景に同化しようとしてる。
 では、先に進んでみましょうか。
 この先の道は、
 どこに続いてるのでしょうか?
 
 これ、道じゃなくて
 ただの坂だよ。
 ちょっと坂道っぽく見えてたけど、
 アンカレイジのおかげで
 道幅が狭まってます。
 取り敢えず歩いて上がる事は出来ます。
 上がった先は、
 右手に茶畑、左手にちょっとした広場。
 茶畑では今でもお茶の栽培をしてるみたい。
 
 左手の広場…と言っても
 木が沢山生えてますが、
 なにか建物とかが
 建っていたような雰囲気があります。
 少し歩くと土台の跡が。
 実はここより山の方に少し行くと
 木曽森林鉄道の線路の跡があります。
 するとこれは、鉄道関係の施設群だろうか?
 潰れた廃墟もあるし、
 ここには駅があったのかもしれません。
 あの吊り橋が、駅に行くための橋ならば、
 立派な姿なのもわかります。
[2007年2月現在]


いつ、誰が造ったのか?詳しい事はともかく、名前すらわかりませんでした。
木曽森林鉄道は旅客も運んでいたそうなので、十二兼駅との間を連絡する為の橋かもしれません。

「いつ」と「名前」が分かりました。「二又橋」大正10年に架けられたそうです。
1921年(大正10年)竣工、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で破損した事により
架け替えられたのが現在の二又橋だそうです。
はたして、あのV字型の並んだ主塔は、大正オリジナルか昭和再建版なのか?
この橋は、対岸で桑や野菜などを栽培するために、地元の人が使ってる物でしたが、
今では利用者が減ってしまったと言います。
上の写真の土台跡が耕作地のあった跡でしょうか?
林鉄は関係なかった? と思ったら、林鉄がすれ違いの為に複線になった所が
二又橋の「二又」の由来だそうです。参考ブログ→「木曽路名水探検隊のブログ

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